ノウイング KNOWING

夫が借りてきたDVD。二人で一緒に見た。
こういう作品を見るたびに、私たちは、もう何度目の人類なのだろうか、と思う、というよりは、何度目のどの部分なのかを思いだしそうな、でも思いださないと決めていることを思い出して思いとどまるような感覚に見舞われる。
最初から最後までたいへんおもしろく、宅配荷物を受け取るときやトイレに行くときには、いちいちきちんと一時停止して(普段ならその部分は流してしまう)、どこも見逃さずに見た。ところが映画が終了した時に、夫が、「ええええ? ええんか? こんな終わり方で。中身もなんかようわからんし。アメリカ人はこれでいいんか?」と訴えるので少し驚く。
「ああ。そうか。どうやらくんは、聖書知識があんまりないから、よくわからないところが多いのかも。この映画、聖書知識や聖書が背景の概念なしで見るのは、ちょっとつらいのかも、かなあ」
「ああ。たしかに、聖書やなあ。そのへんはアメリカ人は問題ないんやろうなあ」
「うん。そうだよ。聖書のこと知らずに見ておいて文句を言う君のほうに問題があるんじゃないかな」
「くうっ」

ぐうの音も出ない、という言葉があるけれど、夫の場合「くう」の音はけっこうちょこちょこ出るらしい。