掃除機を掃除する掃除機

我が家は少し前に新しい掃除機シャープEC-VX210-Pをお迎えした。これまで使ってきた日立の紙パック式掃除機もよく働いてくれるのだけど、夫が「サイクロン」への憧憬を熱く語るのと、我が家の紙パック式掃除機は少々お疲れであるようだから、ということもあり、サイクロン掃除機を購入した。
新しい掃除機は、たしかにヘッドでの吸いこみ仕事はパシッとパリッとこなしてくれるのだけれども、なんというか、潔癖症気味なところがあり、自分自身の掃除を頻繁に要求する。吸い込み仕事をきっちりこなしてくれるから、掃除を終えた後の部屋の空気は、空気清浄機を作動させた部屋のようにすっきりと高原風味なのだけど、その分、こまかい粉塵が、掃除機内部の何段階かの集塵フィルターにしっかりとたまる。カップのゴミはワンタッチで簡単に捨てられるから毎回捨てるのだけれども、それだけでは満足しないらしく、カップの上のメッシュフィルターと、さらにその上のひだひだフィルターの掃除が必要だ。メッシュフィルターとひだひだフィルターを掃除するには、部品を分解する必要があり、その分解と再装着は何度やっても手間取る。そしてそのメッシュフィルターとひだひだフィルター部分にたまる塵は、ぽんぽんとたたいて捨てられるような種類のものではなく(そんなことしたら中に舞い散る)、細かい塵が層になって堆積した状態になっているから、掃除機で吸い取る必要がある。しかし、ここのフィルターを掃除している間は、この掃除機自体は使えない。ということは、別の掃除機で掃除してやる必要があり、そこで活躍するのが古い紙パック式掃除機、というわけだ。
サイクロン掃除機は、その潔癖さゆえに、自分がある程度汚れたと判断すると、どれほど仕事の途中であっても、迷うことなく自分の仕事を中断する。そして、自分の掃除が必要なのだという印の灯り(緑と青が交互に点滅する)を照らし続ける。そして本人が満足するレベルの自分清掃が完了するまで作動しない。
その点、古い紙パック式掃除機は、紙パックに少々大量の塵がたまっていたとしても、集塵パワーを落としてでも、仕事そのものは続けてくれる。そして、自分自身の清掃を要求することもない(紙パックに塵が過剰にたまると「交換サイン」が灯るらしいが、これまでまだ見たことがない)。使用者である私が「もう紙パック交換しましょうね」と決めたときにそうして、新しい紙パックを装着すると、機嫌良さそうにふんふんと強力に仕事を再開する。こうしてみると、古い掃除機は、なんだかちょっと、けなげ、だ。
今は古い紙パック式掃除機が現役で働いてくれるから、二台体制(サイクロンは部屋掃除用で、紙パック式は掃除機掃除用)でやっていけているけれど、これが、もしも紙パック式のほうが完全に働けなくなった場合、掃除機掃除用の掃除機は、何を選べばよいのだろうか、と考える。我が家のサイクロン掃除機と同じ機種のものをもう一台導入したとしたら、一号機フィルターを掃除するためにもう一台の同じ掃除機を使い、二号機のフィルターにたまった塵を掃除するために一号機を使い、そうやって、いつまでも、お互いの掃除をし続けなくてはならないのだろうか。
新人掃除機を歓迎はしているのだけど、この構造や仕様はどうにかならないものだろうか、と、毎回思う。うっかりしてると「シャープの責任者、出てきて、ここに正座して、私の話をよく聴くのじゃ」と説教したくなってくる。そこで、いかんいかん、と思いなおし、この掃除機は、自分の子ども(架空)がシャープの掃除機研究員として長年研究を続けて開発した機種なのだという妄想を抱いてみる。我が子が作って世に出した掃除機だと思えば、愛着やいとおしさや肯定感も違ってくるのではないだろうか、と。しかし、それでも、「いや、我が子だからこそ、敢えて言う。人の役に立つものを作ろうと思うなら、使う人の使いやすさをもっと真摯に考えなさい」という思いが湧いて来て、脳内親子バトルに進展する。
掃除機で掃除をするたびに、自分の脳内劇場がこんなふうに大盛況になるのは、新しい掃除機についてきた思いがけない「おまけ」だなあ。


追記。
掃除機の取り扱い説明書をあらためて見てみたところ、頻繁に掃除が必要となる「集塵カップ」と「集塵フィルター」と「ひだひだフィルター」の部分は、交換用部品が別売りで存在しているらしい。これらの部品は、水で丸洗い可能なのだが、一度水洗いすると、丸一日以上陰干しする必要があるため、掃除の途中で水洗いしたら、続きの掃除がこの掃除機ではできなくなる。しかし、別売り部品を用意しておけば、水洗い乾燥中は、二つ目の部品たちをセットして掃除を続けることができる。が、この部品たち一個当たり約六千円で三つ合わせると一万八千円。
部品の値段の問題だけでなく、水洗いの前段階での埃取り作業には、やはり掃除機での吸引のお世話になりたい。そのままブラシで掃除したりするのでは、細かい塵が簡単に宙に舞うから。それならば、掃除の途中での掃除機の掃除は、紙パック式掃除機に頼って、水洗いするのはすべての掃除が終了した後で、ゆっくりと乾燥可能な状況のときに限るのがよいと思う。
もともとダイソン派の夫としては「ダイソンのならそこまで手間がかからないんだよ」と言うのだけれど、ダイソンの掃除機は私にとって「見た目が怖い(あまり思いだしたくない映画の場面を思い出す)」という外観の理由で同居が困難なため、我が家にお迎えすることができない。よそさまのおうちにある分には全く問題がないのだけれど、自宅での同居は難しい。仕事の内容と手入れ方法はダイソンのそれで、外観が現在我が家で使用中の紙パック掃除機(ベージュのつるりとした卵っぽい形)があるといいのかな。