飛騨高山

十月三十日三十一日の土曜日日曜日の一泊二日で飛騨高山へ旅行。以前は開通していなかった部分の高速道路が通れるようになっているおかげで、予定よりもずっと早く現地に到着。途中にあるトンネルは一番長いものは十一キロメートルの長さがあるけれど、何がどう工夫してあるのか、トンネル内特有の圧迫感も対面通行のしんどい感じも少なくて、新しい道路やトンネルの快適さにうっとりする。道路工学(というのだろうか)を日々研究している人たちは、いい仕事をしているなあ、と感心する。
飛騨高山には、これまで二度行ったことがあり、今回は三度目。これまでよりも、外国からのお客さんが増加していて、案内文の外国語表記の種類が増えているのが印象に残る。特に耳に多く聞こえるのは中国語。夫は「白人のおじちゃんやおばちゃんが多いなあ」と言っていたので、肉眼的にはそちらのほうが多いのかもしれない。
今回は、岩田館という名前の民宿に素泊まり。洗面とトイレは共用で、お風呂には露天もあり、湯船は運んできた温泉水で満たされている。部屋にあると便利なんだけどな、と思うのは冷蔵庫くらいか。今はちょうどよく寒い時期だから、朝食用に買い置きしているヨーグルトは、窓際に置いておけばちょうどよく冷蔵されているから問題なかったけれども。
夕食は、街中のレストランで、飛騨牛串焼き、飛騨牛スジ串焼き、飛騨じゅんけい串焼き、サービスのグラス赤ワイン、漬けものステーキ(漬けものを卵とじにして焼いてある)、夫は飛騨牛を甘辛く炒めてある丼ものを、私は飛騨ポークで作った豚丼風のものをネギ抜きで。
朝食は買い置きのヨーグルトとゆで卵と民宿で無料提供されているコーヒー。夫は買っておいたジャムパンも。私はアンパンを買っていたけど食べられず持って帰る、が、持参の豆乳は飲む。民宿から徒歩数分のところにコンビニエンスストアがあり、なんだかたいへんに便利。
民宿チェックイン前に見学した「屋台会館(屋台は、祭りの時に用いる山車やキリコやだんじりに似ている)」と「日光東照宮模型展示室」からの帰りに、道沿いのお店屋さんで購入した、長野の「ナイアガラ」という黄緑色のブドウを夕方のおやつに食べる。宿の厨房でお皿を一枚貸してもらい、洗面所の水で葡萄を洗う。甘くておいしくて、ぱくぱくと食べたのだけど、食べた後になって、果物の酵素に負けた時独特の口腔粘膜の痛痒さと腫れた感じをおぼえる。仕方なく残りは持ち帰り、果実だけ取り出して、ヨーグルトと混ぜて食べることにする。
宿をチェックアウトするときに、宿の方が小さな「さるぼぼ(赤い猿の形をした飛騨高山独特の布人形)」をくださる。
チェックアウト後、荷物を車の中に置いて、車は宿の駐車場に置かせてもらったままで、てくてくと、歩いて朝市めぐりをする。「山腰さんの豆餅」「山田さんの豆餅」「林檎(秋映)」「むかご(一袋二百円)」を買う。
宿に戻る道すがら、飛騨牛コロッケを買って一個ずつ食べる。そのあと飛騨牛まんを分け合って食べる。
その後、夫の希望により、昭和関係展示物のあるところを見学。
旅行に出発当初は、帰りはスーパー林道で紅葉を見ながら帰ろう、という話もしていたのだけれど、高速道路の近くて速い快適さと、雨模様での紅葉見物気分盛り上がりが十分でなかったことなどの理由により、帰りも同じ高速道路を走行する。二人で何度も「早いねえ」「快適だねえ」「飛騨高山がずいぶん近くなった気がするねえ」「これならまた気軽に来れるねえ」と喜びながら帰路を進む。
旅行中には傘をさすほどではなかった雨が、帰宅後ざあざあと降り始める。
夫は旅行の時に、「雨じゃなかったらよかったのになあ。晴れてたらもっと景色がきれいなのになあ」とよく言う。けれど、雨好き(晴れも曇りも雪も好きだけど)な私としては、「雨が降ってたら雨が見れるけん、うれしいじゃん。雨見るの面白いじゃん。雨の音も好きよ」と毎回言う。そのたびに夫は機械のように「よかったね」と言う。たしかに、運転のしやすさとしては、雨降りでないほうが見通しが良くてラクだけど、宿で滞在したり、知らない土地の景色を見るとき、雨を感じるのも好きなのだ。もちろんお日様の光に輝く景色を感じるのも好きだけど。
そして、夫と旅行をするたびに思うのは、こういう修学旅行をしたかったなあ、ということ。夫が「それはどういう修学旅行か」とあらためて訊くから、あらためて考えてみて、要は「少人数で」「宿の部屋の窓開け放題で」「スケジュールが多くなくて」「お昼寝の時間が設けてある」ことかなあ、と答えたら、「そんな修学旅行はありません」「何を修学してるというのですか」と夫から指摘を受ける。自分が学生時代に参加した修学旅行のような構成の旅行が、自分は非常に不得手であるということに、その渦中において気づいていなかったのはラッキーだったなあ、今は十分に気づいていて、自分の得手な要素だけで旅行を構成できるようになってうれしいなあ、と、しみじみ思う。