豆餅

飛騨高山の朝市で、豆餅を買ってきた。山腰正之さん製造のお餅を、朝市では、おばあちゃんが販売している。朝市で豆餅を扱う店舗は何ヶ所かある。けれど、このおばあちゃんの店舗の場所は、特別好立地というわけでもない気がするのに、繁盛している。商品がよく回転しているかんじ。そしてそのおばあちゃんの商売熱心さに、ある種の洗練された芸のような美しさがある、と私は感じる。
商売熱心といっても、無理やり売りつけるような熱心さではなくて、お餅をどう食べたらおいしいかという情報提供と、地方発送もするからね、お正月のお餅が必要な時には電話をかけてきてな、という案内をこまやかに行う熱心さ。商いに対する愛、とも呼べる種類のもの。
お餅は一袋三百五十円の表示だけど、夫が三百五十円ぴったり渡すと、おばあちゃんは五十円玉を夫の手に返しながら、ないしょ、ないしょ、というみたいな合図で特別感を醸し出しつつ値引きしてくれる。でもきっと、他のお客さんにも同じように、値引きをしているのだろうけれど、特別ね、な、その演技が、旅の高揚感を盛り上げてくれる。うーん、さすが、観光業に力を入れる飛騨高山だ。
夫と私が豆餅を買おうとして立っていたら、傍にいた観光客風の年輩の女性が、「ここのおばあちゃんとのこお餅は、本当においしいからね。私は、わざわざ名古屋からここまで何回も買いに来てるの。おばあちゃんが安くしてくれるしね。本当においしいから、食べてみて、ほんとうに」と声をかけてくださる。
店頭で手に取ってみた豆餅は、むんにょりとして、黒豆のつやが美しく、いかにもおいしそうで、きっと一袋では足りない、と確信して、もう一袋追加で買う。
念のため、別のお店でも、豆餅を買ってみる。帰宅してから、山腰さんのお餅をさっそくいただく。一口食べて、「あ、おいしい」と、その洗練された食感と餅の味と豆の風味に感心する。
今日になって、別のお店で買った豆餅を食べてみた。おいしいのはおいしいのだけど、実家の近所で年末についてもらう豆餅と同じくらいのおいしさ、というか、洗練度合いのようなものが、山腰さんの豆餅には及んでいないように感じる。夫にも焼いたお餅に醤油をつけて「食べてみる?」と一口渡してみたところ、「あ、もうひとつのお店のほうが格上のおいしさ」とつぶやく。
今度また飛騨高山に行ったら、山腰さんの豆餅を、少し多めに買って帰ろう。