阿賀野川を下ります

五月六日、夕方。阿賀野川川下り遊覧船に乗船する。お客さんは、わたしたち夫婦ふたりと、もう一組男女のカップルの合計四名。ちゃんとモーターがついた船で壁も屋根も窓もある客船で、定員三十六名くらいではないかな。でもお客さんは四人だから、それぞれが思い思いのところに座り、運行中も見たい景色に応じて自分の場所を移動する。
ガイドのおじちゃんは、今年七十五才になるとおっしゃっていたような気がする。普段は同じ会社の別の船(川下り観光船)の船長さん(運転士)なのだけど、今日はそちらの船は運休で、さらに普段ガイドをしているスタッフが休みなものですから、わたしが代理で行います、とのこと。
以前は、もっと上流から船で下ってくるコースで運行していたのだが、近年の利用者減少に伴い、上流の船乗り場(わたしたちが最初に入って案内の紙を見たところ)は閉鎖して、現在はここの乗り場から乗って、少し上流まであがってから、引き返してくだる、というコースになったのだそう。
上流にあがってゆくときに、いくつもの橋の下をくぐる。高速道路の下も通る。山側には現在使われていない旧道があるのだが、その何ヶ所かが土砂崩れで埋れている。この土砂崩れは、今回の地震でそうなったわけではなくて、もう、ずいぶん前にそうなって、でも、もう新しい道路が別のところにできていて、この古い道を通らなくても不便がないから、もう、この道は不通にしましょう、ということになったと説明してくださる。
その不通の道路の端の方に、スノーシェッド(雪崩避けの屋根のついた道路)があるのだが、そこが現在は近隣住民の駐車場として利用されているという。なぜかというと、各自の自宅の駐車場を全て屋根付きにするのはたいへんだけど、スノーシェッドの中に駐車しておけば、雪が降っても車の上に雪が積もらないから、雪下ろしをすることなくそのまま運転ができて便利だから。自宅からこのスノーシェッドの場所まで歩いて来るにしても、自宅の別の家族の車で送ってきてもらうにしても、車の雪下ろしをしなくてよいのが、たいへんに便利なのでございます、ということであった。
ある程度上流まで行ったら、今度は下流へ向けて引き返す。現在のコースは急流もなく、終始おだやかな遊覧船。
このあたりだとこのへんにこういう魚が見えますよ、あそこに浮いている鳥が「鵜(う)」です、など、のんびりとした説明が続く。
船内では、乗船を歓迎してウェルカム菓子が配られる。クリームが挟んであるウエハースのような煎餅のような。
ガイドのおじちゃんが、阿賀野川川下りの歌を披露してくださる。わたしたち乗客四名がぱちぱちぱちと拍手をすると、これはこれはありがとうございます、うまく歌えるかどうか不安でございましたが、拍手をいただけるくらいに歌えて安心しました、では、と、カセットテープをふたたび鳴らして、続けて二番三番四番と全ての歌詞を歌われる。
このガイドのおじちゃん(おじいちゃんでもある)の特徴は、話すときも歌う時も、「き」の音が「ち」になるところ。「月」は「つち」。慣れると前後の文脈から問題なく意味がとれる。「咲花温泉」は「さちはなおんせん」。
阿賀野川川下りの歌が済むと、今度は氷川きよしさんの歌を歌ってくださる。歌詞の内容は別段、この地方にもこの川にも川下りにもなんら関係がない。おそらくこのおじちゃんが個人的に好きな歌と思われる。
わたしは船内にいる間も、舟に乗る前に書いていたハガキをテーブルの上に置いて、少しずつ書き足してゆく。
四名のうちの二名は、下流にある咲花温泉旅館街の船着場で途中下船される。舟に乗るときに使ったドアとは反対側にあるドアから出ておりなければいけないのだけれど、そちらのドアがなんだかうまく開かなくて、ガイドのおじちゃんがかなりあれこれ試されたのだけど、どうしても開かない。どうももう長年ここで途中下船する人がいないから、もうこちら側の扉は形だけで開閉しないよう固定してあるようなそんなかんじ。すると途中下船する二人組の女の人のほうが「いいですよ。前の窓から出ますから」と言われる。おじちゃんは「すみません、いいですか」と言って、窓の手前に踏み台を置いて、窓から甲板に出られるようにして、女の人と男の人を誘導する。船を降りた二人に向かって、おじちゃんとわたしたちはしばらく手を振る。
その後またおじちゃんは、今度は氷川きよしさんの別の歌をうたう。もう、船内はおじちゃんの一人カラオケ大会状態。
乗船時間は四十分程度だろうか。無事に船着場まで戻り、お礼を伝えて船をおりる。
車に乗って「川下りの念願がかなってよかったね」と話す。夫は「念願はかなったけど、あのおじちゃんのカラオケ大会は、七十過ぎたじいさんだから芸として許容されるけど、ふつうのガイドの仕事としてはなしやろう。俺らくらいの年のガイドが延々カラオケ歌ったらアウトやろう」と言う。
「おじちゃん、気持よさそうに歌ってたよね。きっと、ああやって歌うのが、元気の素なんだろうなあ。船の運転士として現役で働いているのも老化防止になってるんだろうし」
「普段は運転する側だと、なかなか人に歌を聴かせる機会もなくて、それであんなにはりきって歌ってたんかなあ」
「まあ、他にこれといって、後半は説明することがなくなるせいもあるんかもねえ」
「舟に乗る前に、チケット買って、ベンチで座って待ってたときに、スタッフのおにいさんが、今年は連休中でも川下りのお客さんが少なくて、年々少なくなってて、いつまでできるかなあ、いうかんじなんです、って話してた」
「そうなんだ。だからベンチで笑ってたんだ。そういえば、おじちゃんも船の中で、後継者がなかなかいなくて、こんな歳になってもまだ働けるのでございますが、どう存続させてゆくかが課題なのでございます、って言ってはったよね」
「うん、ここまで来て、せっかくだから川下りしましょ、と思っても、チケット売り場で料金を見てくじけてやめる人もいると思う」
「そういえば、いくらだったん? ここの川下り」(旅行中に使うお金は事前にまとまった金額を夫に渡しておいて、そこからふたり分まとめて支払ってもらうようにしている)
「大人一人二千円」
「うわ。それは上等な値段だねえ」
「そうやろ。四十分で二千円でおじちゃんの氷川きよし付きは、ちょっと高いと思う」
「適正価格はどれくらいやろうねえ。千円は払いたい気はするけど、適正にこだわるなら八百円かなあ」
「そうやろ。二千円っていうの見たとき、一瞬やめようかと思ったもん。でも、今日、これ以外に別にこれといってお金使ってないし、せっかくお天気もいいし、と思って川下りすることにしたけど、これは、この値段では、この内容では、お客さん減ると思う」
「安くてお客さんがたくさんだといいんだろうけど、お客さん少ないから高くしないとやっていけなくて、それでさらにお客さんが減るかんじなんかなあ」
「後継者の雇用や育成も迷うところやろうなあ。しかも、みそきち、おじちゃんが一生懸命歌ってるのに、からだでリズムとるふりしながら、ひたすらハガキ書いてるし。俺一人で合いの手の手拍子を打つしかなくて、一人でたいへんだったんだから」
「いや、一人が二人になっても、あの状況はそんなに変わらんよ」
川下りを無事に終えて、今宵逗留予定の月岡温泉へと向かう。月岡温泉は温泉のお湯もたのしみだけど、温泉まんじゅうもたのしみだ。前回は一ヶ所のおまんじゅう屋さんだけで買ったけど、温泉街に何件かお店があったから、今回は、いろんなお店のおまんじゅうを買って食べ比べてみようと思う。