山と温泉その一

十一月三日。長野県小谷(おたり)村へ。北陸自動車道を北へ北へと走り、糸魚川インターチェンジで降りて、ヒスイの里を通り抜けて長野方面へ。
今回は以前にも泊まったことのある来馬温泉の風吹荘に二連泊。
宿泊の予約の電話をするときに、私の方の食事で外してもらいたい食材を伝える。それから貸出の加湿器があれば貸してください、なければ小さな加湿器を持参します、とお願いしたところ、確認してから電話しますね、と言われる。その後電話があり「加湿器ありましたのでお部屋に設置しておきます」とのことでお礼を伝える。その後また電話があり「加湿器の試運転をしてみましたところ故障していて使えないことがわかりました。お手数ですが加湿器必要であれば持参していただけますか」と連絡があり、加湿器は持参することに。
加湿器以外に、私は枕も持参する。今年の夏に首を捻挫して以来、ちょっとしたことで首の捻挫が再発しやすくなり、首の安全に関して気をつけられることは極力気をつけようキャンペーン実施中。夏に帰省した時に持参の枕で快眠を得ていた私を見た夫が「今回はおれも枕持っていく」と自分の枕を旅の荷物として用意する。旅の荷物はかさばるけれども、車で移動する旅行の時には、行き先の寝具状態に応じて工夫したいものだ。
夫は翌日長野の山に登るつもりで、山登りの道具も車にのせる。
道中ずっと温かくて、温かいというよりは暑いくらいの気候。
宿には午後三時頃到着。私達よりも少し若い年頃の夫婦で営んでいる宿で、温泉は近隣住民の人々の銭湯としての役割も兼ねている。
客室はすべて和室。八畳くらいか。これまでに二度泊まったことがあり、部屋に冷蔵庫が付いているような記憶を頼りに豆乳をペットボトルに入れて持参したが、部屋に冷蔵庫はなかったため宿の厨房冷蔵庫で保存してもらうことにする。ここに泊まる時には豆乳は常温保存可能な少量パックで持っていくこと。元々は常温保存の少量パックでカバンの中に用意していたにもかかわらず、出発直前にやっぱりペットボトルにしようと決めて入れなおしたのは、客室に冷蔵庫はないよ、という記憶を定着させるためだったのだろうか。部屋に冷蔵庫はないから、持参の炭酸水(コープのただの炭酸水)も厨房の冷蔵庫で冷やしてもらい夕食の時に出してもらえるようにお願いする。
私が部屋で荷物を広げている間に夫は温泉に入りに行く。そのあと私が温泉へ。浴室では年配の女性がお風呂上りで座っておられる。ここの温泉が好きで、富山から一時間半くらいかけて時々来るのだとか。今は新そば祭りをしているから、今日は蕎麦屋をニ軒はしごしてから温泉に入りに来たのだそう。
十一月であればもっと寒くなっているはずなのに、異様に温かいせいなのか、小谷村ではカメムシが越冬地を求めて大発生していて、館内にも客室にも遠慮なく侵入してくる。見つけるたびに紙にのせて窓の外に出してやるけれど、無限に感じられるほど、何度も何度もカメムシと遭遇する。
部屋の外にあるトイレと洗面室がリフォームされて使い勝手がよくなっているのだが、ここにもカメムシが頻繁に登場する。うっかりスリッパで踏みつけてカメムシ臭を発生させないよう、カメムシをよけて注意してトイレや洗面室を使う。トイレのドアには「カメムシ多発中」の注意書きが貼られている。宿の方としても駆除と侵入防止の努力はなさっているものの、カメムシカメムシとしてやってくるのはどうしようもないのだろうなあ、と気の毒に思いはするが、館内あちこちにカメムシがいるというのは、宿でくつろぐ、という意味では、くつろぎ度合いに大いなる課題をもたらす。カメムシさえいなければ、ここの宿はかなり快適で過ごしやすいのに、カメムシめー。
それでもお湯は相変わらず気持よくて、六時からの夕食までの間を、部屋でお布団を敷いてゴロゴロと気持ちよく過ごす。
ここの宿は食事がおいしい。宿主さん(加湿器の電話をかけてきてくださった男性)が作る料理は美しく創意工夫に満ちていておいしい。
今回もどれもおいしいが、特においしかったのは湯剥きしたプチトマト。付け合せに一個付いているだけなのだけど、これがたいへんにおいしくて、どうしてあるものなのか尋ねたら、プチトマトの皮を湯剥きしてから、ハーブのレモングラスを煮た汁を冷ましたもののなかに浸しておいたものなのだとか。このレモングラスの液に浸しておくと冷蔵庫で一週間くらいは保存がきくのだそうだ。プチトマトはそのままでもおいしくて好物だけど、このように手を加えてあるものなら丼いっぱいくらい食べられそうなくらいおいしい。
私のぶんのお皿には、外してくださいとお願いした食材は基本的に外してあり、夫のぶんのお皿にはネギも玉ねぎもピーマンも必要なところに必要なように使ってある。メダイを揚げたマリネのお野菜は普通なら玉ねぎが使ってあるところが大根で作られていて、安心しておいしくいただける。たまーに、つい、混ざっちゃいました、なかんじで微量混在している五葷もあったけれど、十分に対応してもらえている。
お米がしみじみとおいしくて、噛めば噛むほど甘みがしみ出してきて、口から鼻に麦芽糖っぽい甘い香りが漂う。おいしいなあ、おいしいなあ、と、お米をたらふく食べたにもかかわらず、食事の締めは新そば。「新そばは旧そばに比べると爽やかだよなあ」と夫が言う。「新そばはそばの味が澄んでいるよねえ」と相槌を打つ。
翌日の朝食はなしで予約をしているけれど、夫が近くの山に登るためのお弁当におにぎりをお願いしてみたら対応してもらえるということなので、夫の山頂お昼ごはん用おにぎりと、夫の早朝出発前の朝食用のおにぎりと、私が宿でだらだらと温泉に入って過ごすための午前食としてのおにぎりとして、合計三セット注文。「朝七時出発予定にして、六時半すぎくらいにおにぎりをもらいに降りてきます(客室は二階、食堂は一階)」とお願いしてから「おやすみなさい」と挨拶をして部屋に戻る。
夫は部屋のテレビで何度も天気予報を見ては「やったー。明日は晴れだー」と言う。夕食で満腹だったお腹がこなれたら再び温泉に入って、おやすみなさい。
こうして、山と温泉の旅が始まった。