山と温泉その六

雨飾温泉の手前の露天風呂での入浴を終えたら、宿に戻る方向へ。
途中にある小谷温泉熱泉荘には明日チェックアウト後に日帰り温泉利用で来ようと思っている。
このあたりの温泉では小谷温泉熱泉荘のお湯が最も好き(今のところこれまで入ったことのあるすべての温泉の中でここのお湯が一番だと思っている)なのだが、以前二度ほど泊まった経験を振り返って、ここでの宿泊や滞在に関する快適のことを思うと、トイレや洗面所のこととかいろいろ、ここにニ連泊するのは少々つらいお年頃になってきたなあ、という気持ちがあるため、宿泊は快適な来馬温泉にして、熱泉荘は日帰り利用をしよう、ということにした。
しかし、本当はもっと長時間滞在して、何度も何度も何度も何度も繰り返し繰り返し熱泉荘のお湯には入りたい。心身の両方がそれを要求する。入っても入っても湯あたりすることがなくて、温度さえちょうど良ければ大袈裟に言うと永遠に入っていたいくらい。だが「熱泉荘」の名の通り、ここのお湯は源泉温度がたいへんに高く、源泉好きでも加水せねば入浴できない温度。
道の途中にある熱泉荘入口の小道を車の中から確認して「大丈夫そうだね、道路も塞がっていないし、ちゃんと営業してそう」と翌日を楽しみにする。
宿に帰る前に国道沿いの道の駅に立ち寄る。前日に試食してみたらあまりにおいしくて大量に試食したため、こんなにたくさん食べるなら(食べたなら)買わねばなるまい、と思って買った野沢菜せんべいを追加で買う。
夫が「お腹がすいてなにか食べたいなあ。でも今あんまり食べると夕ごはんに差し支えるからなあ」と言う。
「そんなときには、玉こんじゃね」と提案して、一本三玉百五十円の玉こんを一本ずつ買って食べる。おおー、ここの玉こんは味がよくしみていておいしいー。
道の駅から宿までは車で数分。
ただいま帰りましたー、と宿の玄関に入ると、宿のおかみさんが「おかえりなさい」と言って部屋の鍵を手渡してくださる。宿主さんとおかみさんの子どもも一緒に出迎えてくれる。この子どもが成長期まっさかりで元気よく走り元気よく大きな声を出す。
前回、前々回、ここの宿に泊まった時にも小さな女の子がいるなあ、宿の外で三輪車に乗っているなあ、と思ったけれど、あの時の子はもう大きくなって小学生くらいになってるかなあ、と思ってきたのだけど、なんだか小さいままだなあ、と思う。
部屋に戻って、しばらくくつろいで、六時になって食堂に降りる。と、階段から降りた所で、日帰り入浴に来ている年配のご夫婦が宿の子どもの遊び相手をしておられて、その横で小学生の女の子が座って宿題をしている。
ああ、ちゃんと、あのときの小さな女の子は大きくなって小学生になっていたんだなー、おねえちゃんでおとなしくて大声も出さないしドタドタ走ったりもしないし昼間は学校に行ってていないから存在に気づくのが遅れたけれど。
ということは、今回大きな声を出している小さな女の子は、この宿のご夫婦の二人目の子どもで、まだ本当に小さいのかも、と思ってよく見てみると、たしかにお尻のラインが、紙おむつしています、な形状。
そうか、そうか、妹だったのか、と、なんとなく謎が解けた気分ですっきり。
食堂には、私たちの他には、昨日も隣のテーブルで食事をしていたお仕事お兄さん三人組と、老齢のお母さんを連れて泊まりに来ましたという息子さん(私達と同じ年代くらいかなあ)で、合計三組。
お母さん連れの息子さんと私たち夫婦は観光宿泊なので、それ用の食事で、今夜のメインはあんこう鍋。あんこうのゼラチン質が温泉効果と相まって肌を保湿するよっなかんじ。昨夜のしめは新そばのもりそばだったけど、今日のしめは新そばの鴨南蛮。そばと基本のお出汁は昨夜と共通なのだけど、鴨の切り身が出汁に入っているだけで、ぐっと味わいが鴨パワーに満ちる。
料理の中の一品で、夫と母息子組みには魚のすり身にピーマンとネギを混ぜて団子にしたものにキノコのあんをかけたものが出されたのだが、私には別にジャガイモの団子のキノコあんかけを出してくださる。これが「うわあ、なんだこれー、おいしー」と身悶えするおいしさ。ジャガイモをマッシュポテトにしたものをどうしてあるのだろう、生クリームでつないであるのかな、丸いボールに固めた中に何かのひき肉が包まれている。
昨日食べておいしかった湯剥きプチトマトのレモングラス汁浸けもまた一粒お皿にのっていて、うれしいなあ、と思う。
お仕事三人組のお兄さんたちはビジネス宿泊のようで、食事の内容が私達とは異なる。お兄さんたちには前日もこの日もお盆にのった定食風のものが運ばれる。
お兄さんたちは昨夜は淡々とご飯をよそって黙々と食べて「ごちそうさまでした」と言って部屋に戻られたが、この日はいろんな種類のビールと焼酎を持ち込んで「お疲れ様でしたー」と乾杯をして嬉しそう。どの仕事をどんなふうに片付けたか、お昼休みに宿に戻ってきた時に何をどうパソコンで処理してそのデータをどのように送信したか、などをさっぱりとしたかんじで報告し合う。
夫は今年は何度か泊まりがけの出張があり、そのときにいろんな宿泊施設に泊まっているのだが、そのときのことを思い出して「いいなあ、出張で泊まる宿がここだったらいいなあ」と言う。「源泉かけ流しの温泉に入り放題で、ご飯がこんなにおいしいなんて、いいなあ」と。
ご年配の母と息子の食事は私達と同じだが、ご年配のお母様にとってはおいしい食事ではあるもののあんこうは若干食べづらく、また、息子が温泉宿に連れてきてくれたのは嬉しいけれど孫も一緒だったらいいのになあ、と思われるのか「すごくおいしいけど、子どもらはこういう料理よりもふつうの洋食のほうがいいんやろう?」と何度も息子さんに尋ねる。息子さんは「子どもらは小さいしなあ、こういう料理は大人の料理だからおれらだけで来たんや」と説明される。
この男性客(息子さんのほう)は何度かこの宿に泊まりに来られる常連さんのようで、宿の方に「いつもお世話になってます。今回は母を連れてきました」と挨拶していた。お気に入りのご飯のおいしい温泉旅館にお母さんを連れてこようと思うだなんて親孝行な息子さんだなあ、と感心する。
夫や私は自分の親との旅行に関してどうだろう、と考える。
夫の両親はもともとがあまり旅行好きではない。夫が大学を卒業後会社員になってからは毎年両親を旅行に誘っていて、結婚してからも何度か企画したのだけれど、夫の両親はやたらと早くに帰りたがり、夫が新幹線の指定券を用意しても、グリーン車の指定をとっても、両親は「この切符でも、自由席なら早い新幹線に乗ってもいいんじゃろ」と言って早くに帰りたがる。特別旅行好きではない人たちを、親孝行をしたいからといって無理に連れ出さなくてもいいのかもしれないねえ、と考えなおし、その後夫の両親との旅行企画はやめた。
私の両親は、特に父の方は旅行が好きでよく出かける。が、父が好むタイプの旅行と私や夫が好むタイプの旅行はまったくといってよいほど異なる。父は朝から夕方までびっしりとスケジュールを組み込むが、私はできるだけゆうるりと宿でだらだらと過ごすのが好みで、そんなにだらだら過ごすのであればここに来ずとも家でだらだらしていればいいのではないか、と言いたくなる人は言いたくなるであろう、というかんじ。だからこういう人たちはたとえ親子であっても一緒に旅行するのではなく、それぞれがそれぞれに各自旅行に出かけるほうが世界平和というものだ。
母は私のような旅行の仕方にも、父のような旅行の仕方にも、両方に対応できるマルチなタイプの人物だ。そんな母と夫婦である父は、母の娘である私にそのマルチな要素がないことがうまく想像できないのか、私達が広島に帰省したときに夫や私に「旅行を企画して連れて行け。金は出す。親孝行は生きている間にしかできない」というような意味のことを言っている、ような気がする。母は父との旅行に同行することもできるが、新聞広告に掲載されているようなスケジュール満載のツアー旅行に参加した実績も持つ。そして母が母のきょうだいたちとオーストリア・ウィーンに個人旅行するときに私が同行した時には、私の旅行スタイルに合わせてのんびり気ままにぶらりと過ごすのも「ああ、いいねえ、こういうふうにゆっくりしてると、ああ、ここでこれしたいなあ、あれ食べてみたいなあ、っていろんなこと思いつくのが楽しいねえ。これまでは、みそが一人でどこかに旅行に行く話や、あんたら夫婦がホテルも予約せずに外国にでもどこにでも出かけていくのを大丈夫なんじゃろうか、と思って心配してたけど、これは大丈夫だわ。それに面白いわ」と言って味わうこともできた。
しかし、父の場合、私の父であるからして、自分の快適は自分のコーディネートの上に成り立つ、というある種の信念を持つ部分において、父と私は親子父娘としてたいへんによく似ている。そんな父が夫と私ののんびりだらだら旅行を楽しく感じるとは思えないし、父が好むようなスケジュール盛りだくさんな旅行は私たち夫婦にとって(少なくとも私個人にとっては間違いなく)好ましくないストレスとなることは明らかであるし、そういう一時的なストレスであってもじゅうぶんに病の元になることは私は百も承知であるし、そんな父と娘(私)がそこまで互いに無理をして歩み寄ってともに旅行をしてきっと間違いなく体調を崩すよりも、父が自分で自分が好むスタイルの旅行を企画して出かけて無事に帰ってきた話を聞いて「よかったねえ」と体調良く安堵するほうがよほど親孝行だと思うからそうしている。そしてきっとそれでよくてそれがいいと思う。だからもしもこのまま今後父とともに旅行しないうちに父か私のどちらかが他界したとしても、そのことに関しては悔いはないという結論に達している。
が、三年前の夏に亡くなった友人が生きていた時に、彼女の父上が彼女に「一緒に北海道に旅行に行きたい」と直々に所望なさったことがあった。彼女は電話で私にその話をして「えー、げー、おとうさんとー? 無理やろー」と文句を言う。けれどあのとき私は、彼女の父上がどうしても彼女と、もう子どもではなくなって成人して結婚して子どももいる彼女が夫と子どもとは別行動して父上と母上と一緒に旅行する、というそのことを切望なさっていることの重大性を、そして、それは彼女が娘として叶えて差し上げるべきであることを、そのときにはどうしてなのかはよくわからなかったけれども根気よく彼女に説いた。彼女は最初は「無理だってー。妹とお母さんとだけならまだしも、お父さんと弟と一緒は無理やろー」と抵抗していた。けれど次第に「そうかなあ。みそさんがそんなにそう言うならそうなんかなあ」と聞く耳を傾けてくれ、最後には「じゃあ、企画は妹に任せてお願いしてみようかな。妹なら気が利くけんね、私がラクなように考えてくれるのがわかってて安心だし。ただ妹はただならぬ食の求道者やけんねー、うちのお父さんもお母さんも弟もよく食べるけんねー、私も食べようと思えば食べられるけど、そこで無理してあの人らに合わせて食べ過ぎんように気をつけんといけんね。それだけ気をつけて行ってみることにする」と決めた。そして彼女は妹さんと弟さんとご両親との五人で北海道をレンタカーで旅行した。あの北海道での時間は、彼女にとっても妹さんにとっても弟さんにとってもお母様にとってもそしてきっと特にお父様にとってはどうしても、彼女と彼女のご家族がこの世で親子であることをきょうだいであることを家族であることを、あのときに今一度たしかにかみしめておくために必要で必須な時間だったのだと、そう思う。