サイダーハウス・ルール

ケーブルテレビで遭遇して久しぶりに何度か目の視聴をした『サイダーハウス・ルール』。何度目の視聴だろうか、もしかすると最初はレンタルビデオ(DVDではなくてビデオテープ)だったのだろうか、地上波で何回か、ケーブルテレビで何回か、合計で四度目か五度目か、だろうか。
番組表で『サイダーハウス・ルール』のタイトルを見て「あ、私、この映画は知ってる。たぶん好きな方面の作品のはず。とはいえ、はてさて、どんな映画だったっけ。手がハサミの人が出てくるんだっけ」と思う。何度も見ている割にはすぐにどんな映画なのかを思い出さない思い出せないところは私の特技だ。この特技は、デメリット方面で現れると「記憶があやふや」「物忘れが激しい」など不便な形となることもあるが、メリット方面で捉えるなら「人生わりといつも新鮮」と言えなくもない、という形となる。ところで手がハサミの人が出てくる映画は『シザーハンズ』だということを思い出すのはもう少しあと。
サイダーハウス・ルール』の映画が始まる。音楽が流れる。列車の映像。そうそうこの音楽が好きなの、そうそう、と思う。まだ映画の内容はどんなだったか思い出せないが、ハサミの人は関係なさそうであることにはこのへんで若干気がつく。
画面が孤児院の建物に変わる。ああ、そうだ、孤児院(産院でもあり安全な中絶施設でもある)で生まれた男の子と周りの人々の話だ。
孤児院の子どもたちを演じる子ども俳優さんたちの「健気」演技力がただごとではなく卓越しており、何度見ても彼らの表情やしぐさにこころ惹かれる。
養子を求めて孤児院を訪れる人がいると、彼らはいかに自分が清潔で健康でいい子かを積極的にさりげなくアピールする。自分を引き取ってほしくて。極上の笑顔を作る。
仲間の誰かがどこかの家族に引き取られていった時、孤児院に残った子どもたちは各自のベッドでその日引き取られた子の名を呼びその子の多幸を願って「おやすみ」と静かに言う。
男の子たちの部屋には毎晩ラーチ先生がやってきて灯りを消して扉を閉めながら「メインの王子、ニューイングランドの王」と言ってから立ち去る。ある晩の子どもたちは「どうしてラーチ先生は毎晩同じことを言うんだろう」と話し合う。そして先生のその言葉が自分たちのことを大切に思っているという意味であること、先生がそう言ってくれるのを自分たちはとても気に入っていることを彼らは確認する。
ラーチ先生の死後、ラーチ先生の技術と意志を引き継ぐ決意に至った青年ホーマー(この映画の主人公)が孤児院に戻ってくる。
ホーマーは男の子たちの寝室で本を読み聞かせてから部屋の灯りを消す。そして「メインの王子、ニューイングランドの王」と言って扉を閉める。子どもたちは嬉しくてたまらないようにそして心から満足そうに笑う。そのときの子どもたち各自の一瞬の笑顔の演技が私の中の「くーっ、うまいっ、うますぎるっ」の感情を受けとめる受容体を刺激する。「キミらそんなん反則やわー」と、もう何回も見ているシーンなのに、毎回新鮮に思って、そして毎回律儀に拍手する。


今回視聴して初めて気づいたこと。
ホーマーくんがリンゴ園勤務時に恋に落ちた女性のお父さん役の俳優さんは映画『ジュノJUNO』でJUNOのお父さんを演じた俳優さんでドラマ『クローザー』の上司の役の人。J・K・シモンズさん。
男の子たちの寝室でホーマーくんが朗読する本はチャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』。小さい子に読み聞かせる本としては少々難易度が高いような気がしないでもないが(ただし朗読文の内容は映画の流れとしてはたいへんに効果的だと感じる)、寝際に自分以外の誰かが朗読して聞かせてくれるのであるのならば、リズムが気持ちよい文章なら、なんでもいいかー。