燃え上がる恋心

昨日パソコンの「いまどきの新しい機能」としてテレビ機能をあげたが、考えてみるとパソコンにおけるテレビ機能はことさら新しいわけではなくてわりと以前からあったものなのかもしれないと思い至る。
自分にとってテレビ機能は必要ないというのは今回じっくり考えてみてやはりいらないという結論に至ったが、私はどうも「いろいろついていてお得」というよりも「自分が求めているものだけついていてほしい。求めていないものが目に入るのは避けたい」という願望と「求めていないものにむやみやたらに遭遇接触すると疲労消耗する」傾向があることに気がついた。
いまどきの新しい機能として今回学習してみて目についたのは「タッチパネル機能」だろうか。私は有線のマウスが大好きだからタッチパネル機能がついていても有線マウスを愛用するのであろうなあ。LANも有線が大好きで一生線とともに暮らしたい。無線にする予定はない。屋内に線があると紐がごちゃごちゃするしホコリがよりやすいしなにより使用場所がある程度制限されるのだが、私はどうもこの「ある程度制限される」という環境に身を置くほうがそのものに対する意欲が高まるようであることに半日ほど前に気づいた。意欲が高まるというのか魅力を感じやすくなるというのか。
パソコンであれば有線LANの長さの届く範囲でパソコンを使うほうが線の長さ関係なくどこでもかしこでもできるよりも「パソコンを使おう」という気がなぜか湧きやすいようなのだ。実際には我が家はたいへんにコンパクトな面積なので少し長めの有線LANケーブルを使えば家の中のだいたいの場所でパソコンを触ることができるのではあるが。それでも自分がある程度ここと決めた「パソコンと向き合う固定の場所」に自分の体のほうを持ってくるほうが好きみたいなのだ。このへんが私が頑なとも言えるほどに携帯電話でのweb接続(eメールも含めて)をまったくせずスマートフォンのお世話になる気もお世話をする気もない背景のひとつなのかもしれない。
これまで旅先で何度か館内無線LANサービスがある施設で「あらまあどこでもできて便利ねえ」と一瞬は思って持参のPC使ってみたことがあるのだが、この「どこでもできる」状態になるとなぜか「別にしなくていいや」という気分になってきてすぐにそのまましなくなった。旅先だから旅を味わう(ただ単に宿の部屋で畳の上に大の字に寝転んでいるだけだとしても)ことのほうが大切になる側面もあるのだろうが、私にとってのwebの魅力は、「いつでもどこでも」しようと思えばできるけど「いつでもどこでも」ではしない、つまり「ある程度制限された環境」において使うこと、にあるようなのだ。だからといって、いまさらもう、ダイヤルアップ接続の時代に戻る気はさらさらなく現在の光環境をおおいに慈しんでいるのではあるけれど。
この「ある程度制限がある」状態のほうが意欲が保ちやすいのはケーブルテレビの犯罪捜査ドラマ視聴も同様で、ケーブルテレビの録画機能が我が家になかった頃には放映時間にテレビの前に来ることにもっと熱心だったのが録画環境が整ったことで録画ばかりして録画したものをなかなか見なくなっているところにも現れている。
私にとって特定の分野の「制限」と「意欲」にはなにか相関関係があるのかもしれない。この関係のような規則性のようなものは、周りから反対されればされるほど燃え上がる恋心に似たなにか、なのだろうか。