琵琶湖と鮒ずし:参

夫、念願の鮒ずし茶漬けを求めながらの、琵琶湖旅。

車を運転しながら、「発酵と腐敗の違い」について語り合う。夫は「発酵と腐敗の境界線を越えて腐敗に入ったとしても、旨味はある程度のところまでは、たぶん上昇するものなんだ。」と言う。

琵琶湖の北の西の町に、鮒ずしを売り、鮒ずし茶漬けも出す店が、ガイドブックに載っていた。夫のリクエストにより、ナビくんには、ひたすらそこに向かってもらう。鮒ずしに興味のない私は、ガイドブックの鮒ずし頁を見ることもなかったけど、ふと、夫に、きいてみる。「鮒ずし茶漬け、予約しなくてもいけるの?」「うん。だいじょうぶ。直接行けばだいじょうぶ。」

夫の希望通りに、お昼過ぎには、そのお店の前に着く。しゃきっとした店構え。駐車場はどこだろう?じゃあ、私がちょっと降りて、お店の人に訊いて来るね。

お店に入ると、発酵食品独特の、酸っぱめな匂いが漂っている。しゃきっとした体つきの、お兄さんともおじさんともいえる年の頃の男性が、「いらっしゃいませ」と迎えてくださる。
「こんにちは。こちらで食事はできますか?」
「ああ。申し訳ございません。食事は御予約のみなんです。」
「あらまあ、そうですか。では、また今度、あらためて、予約してから来ますね。そのときには、車はどこに停めたらよいんでしょうか?」
「お店の前にそのままどうぞ。このへん殆んど車が通らないですから、だいじょうぶなんです。」
「そうですか。わかりました。また今度よろしくお願いします。」
「あ、もしも、よかったら、こちらのリーフレットもお持ちください。」
「ありがとうございます。」

車に戻る。夫に報告する。「食事は予約のみだって。」
「え??・・・(とガイドブックを開いて見て)ほんとだ・・・要予約って書いてある・・・。」
「残念だったねー。明日のお昼に、湖の東側で食べれるかな。」
「うーん・・・じゃあ、さっき、道端にあった郷土料理屋に行ってみる。もしかしたら、鮒ずしもあるかも。」
「いいけど・・・私が食べられるものもあるかなあ・・・」
と郷土料理屋さんへ。

いらっしゃいませ〜。家族単位の子供連れのお客様たちがおおぜい、ちょうどお昼ご飯中。よかった。鮒ずし以外にもいろいろありそう。メニューを見てみる。

うどん類。ラーメン類。丼もの類。定食類。

はてさて、何が郷土料理なのか。鮒ずしも、ない。夫はせめて、鮒ずしに一番近そうなものを、と、「しめ鯖(鯖生すし)定食」を注文。未練が伺える選択だ。私は、「焼き揚げ定食」。油揚げを焼いたものに、おろし生姜と醤油をかけて食べるもので、私の好物なのだが、どこにでもありそうで、どこにでもない。メインが鯖か油揚げかの違いだけで、ご飯、味噌汁、ひじき煮、山芋短冊とお刺身二切れ、お漬物、は、共通。

夫は、今夜、ホテルで聞いて、夕ご飯に、食べられたら、鮒ずしのあるところに行ってみる、と言いながら、先ほどもらった、鮒ずし屋さんのリーフレットを眺めていた。

ホテルに着いて、夕ご飯に出かけるときに、フロントの人に尋ねてみる。「この近くに、鮒ずし茶漬けを、食べられるお店はありますか?」
「ああ。鮒ずしですか。鮒ずしは、湖の、北のほうの食べ物なんです。このあたりは南なので、鮒ずしは置いてないんです。」
そうなんだー。鮒ずしは湖北の文化なのかー。鮒ずしの道は遠いねー。明日はよくよく調べてから、必要なら予約してから行こうよ。でも、私用に、鮒ずし以外の食べ物もあるとこにしてね。

そして翌日、湖東側を、北を目指して走りながら、途中の近江で、鮒ずし取り扱い店に寄る。「こちらで鮒ずし食べられますか?」
「はい。置いてますけれど、ここで食べて行かれるの?」

よかったねー。あったねー。お店の人が「どれにする?」と売り場のケースを開けて見せてくださる。一匹一匹ビニール袋でぴったりパウチされた鮒が、大量に並んでいる。大きいものは、何十センチにもなって、でかい。値札を見ると、一匹5000〜8000円。1万円越すのもある・・・。た、高い・・・。一番小さいものをと、お店の人に選んでもらう。「うーん、こんなに小さくて、食べるところあるかなあ。ちゃんと子が入ってるかなあ。」と言いながら、一匹1000円の、体長12cmくらいのを選んでくださる。

「これは、お茶漬けにするんですか?」と聞いてみる。「お茶漬けにしてもいいけど、このまま薄く切って出すから、そのまま食べてもいいし、少しお醤油つけてもいいし、ご飯と一緒に食べてもいいし、お酒のあてにもいいんだけどね。」

ちょうどお昼時なので、野菜の煮物や丁子麩の酢の物とご飯と味噌汁のついたお弁当を注文。夫はそれにお刺身のついてるタイプのお弁当を注文。

先に鮒ずしが登場した。「うちのは、匂いを抑え目に作ってるから、初めてでもまあまあ食べやすいはずなんやけどね。」とお店の人。

ニオイは、酸っぱい。私は発酵食品です、という自己主張のあるにおい。夫はさっそく口に運ぶ。「あ。思ったより、食べられる。」私もせっかくの経験なので、一切れぐらいはいただこうか。一切れは、約3ミリ、か。お腹にだいだい色の卵が、みっしり入っている。しつこいけれど、においは酸っぱい。漬け過ぎたお漬物の、さらに足が進んだにおいだ。

お店の人が「発酵で、骨まで柔らかくなってるからね、全部食べて大丈夫よ。」と教えてくださる。

勇気を出して、ちび、ちび、と箸をつける。お店の人は、「男の人は、中の子を、好む人が多いんだけど、 私は身のほうが好きやなあ。女の人は、若い頃には、あんまり美味しく感じないんだけど、子どもを産んだ後になると、美味しく食べられるようになってね、私も子ども生んでから、鮒ずし美味しいと思うようになったのよ。」と言いながら、「味はどう?」と聞いてくださる。

「まだ、これからです。」まずは卵を一口。しょっぱくて酸っぱい。石川県の美川町で、フグの卵巣の、糠漬けを名産として売ってるのだけど、あれが酸っぱくなったかんじ。周りの身は、どうだろう。ちびっと一口いこうとしたけど、うまく噛み切れなくて、ぐるりと全部食べてしまう。えーと・・・鮒の周りについてるお米が真っ白でトロトロで酸っぱいです。発酵と腐敗の境界の味がします。ううううう。もういいです。大急ぎで付け合せの紅生姜をほおばる。ううううう。

夫は一人で頑張って、三切れ、四切れ、と箸をすすめる。夫が「ご飯がほしい。」と独り言をつぶやいてまもなく、注文していたお弁当が運ばれた。お野菜の煮物に和む。夫は、鮒ずしと、昆布の佃煮と、ご飯を一緒に口に入れて、「鮒ずしと昆布は合う。」と判定していた。全部で15切れ以上はあったような気がする一匹の鮒ずしのうち三切れは食べきれず、残してご馳走様となった。

お店の人に聞いてみる。「地元の人は、どういうときに、この鮒ずしを食べるんですか?」
「うーん・・・昔は、各家庭で作ってて、普通の漬物感覚だったんだけど、今は、そうねえ・・・宴席専用やね。法事とか、そういうときに、こういう大きいのを切り分けてふるまうくらい。」
「ずいぶん高価だし、特別な食べ物ですよねえ。」
「昔は鮒はいくらでもとれたから、とれてしまったのを保存するために、塩に漬けて、そのあとご飯に漬けて、ってしてたけど、今は外来種の魚が増えて、鮒は少ないから希少だし、漬ける手間もたいへんだし、一回漬けたら、数年以上は寝かさないと骨まで柔らかくならないし、だからもう専門店でしか作らないねえ。」
「大きい鮒はずいぶん大きくなるんですね。鯉よりも大きいかも。」
「あ。大きい鮒と、小さい鮒は、鮒の種類が違うのよ。」
そうか。私達が食べたのと、大きい鮒とは別物なのか。

お腹いっぱいになって、ご馳走様でしたー、と店を出る。夫がつぶやく。「満足した。もう、鮒ずし鮒ずし言いません。思ったよりは食べられたけど、美味しかったです、とは言えんかった。」
「お茶漬けは?もういいの?」
「また機会があったらでいい。」
夫がこういう物言いをするときは、自分で努力する気はないときだ。よほど念願叶い尽くしたのであろう。

悪天候の中の琵琶湖一周旅行。夫の「鮒ずし欲」も満たされて、たいへんよい旅であった。