にねん

とある経緯があって、昨日、ミニノートPCを購入した。小さくて軽くて、これなら旅先や帰省にも、気軽に連れて行くようになるかもしれない。

ところで、このミニノートPC、購入時店頭で価格を見たところ、イーモバイルという無線通信サービスへの加入契約を同時に行い、その通信サービスを2年間利用し続ければ、PC本体と無線接続装置(手のひらサイズの小さなもの)自体は、合計「100円」で購入できるというセットキャンペーン開催中であった。イーモバイル拡販のために頑張って工夫しているのだなあ、と、感心はしたものの、自分に関しては、どうしても、このセットキャンペーン価格を利用する気になれず、それはなぜだろう、と、昨夜眠りながら考えてみた。そこで気がついたことは、私は二年生きる自信がないらしい、ということであった。我ながら、それはどうかしているだろう、という気は、する。現在別段困難な闘病中であるわけではなく、非常に危険を伴う職業に従事しているわけでもなく、非常に高齢なわけでもなく、実際には、たぶん二年以内には死なない可能性が大きいだろうに。生きている可能性が大きいことを望んでいるだろうはずなのに。

もともと、公的には、「あと三年」と思いながら生きているほうではある。実際には「あと3ヶ月」「あと三日」であることは、少しだけ秘密だ。決して世を儚んでいるわけではなく、それくらいの期間なら頑張って丁寧にこの世を味わう心がけを続けられそうな気がするから。もちろんこの「あと三日」は、毎日毎時毎秒更新されるので、実際には、こんなに大きくなるまで、長生きしてきたわけだけど。

もしも自分が近々ぽっくり逝ってしまったときに、解約手続きや事務連絡が必要なものをこれ以上増やしたくないのだろうか。夫はなぜか私よりも長生きする気満々のようで、「それくらい、他のもののこともあるし、一個や二個、増えても減っても変わらないのに。」と言うのだが。いいや、そうではなくて、夫のことだからきっと、クレディットカードの停止など、連絡手続きするのをうっかり忘れそうな気がしていて、その結果、余計な料金を払い続けることになりそうな気がするのかもしれない。それが心配で、それをなんとか阻止したくて、こんなふうに思うのだろうか。

イーモバイルの契約ひとつで、なんともまた、たいそうな心配をすることであるなあ。自分。