トルコと山寺

五月一日の旅記録。ホテル客室の窓から寒河江(さがえ)市内を見渡す。夜が明けた市内では、満開中の桜が、あちらでもこちらでも、おおいに張り切っているのが見える。「このへんの桜はいつもこの時期なのかな、今年が特別遅いのかな」「今年が特別寒くて遅かったんじゃないかな」「それか、私たちに、年に一度の晴れ姿を見せたくて、私たちが来るのを待ちに待って、大歓迎で咲きまくってくれてるんだよ、きっと」などと話す。私の朝ごはんは、紅茶豆乳とグリコ毎日果実と森永チョイスビスケット。朝をこれくらい軽くしておいてこそ、お昼がおいしく食べられるという用意周到な旅の基本作戦。
ホテルをチェックアウト後、念願の(私の)寒河江チェリーランドへ。ホテルから車で数分の距離なのですぐに到着。まずは目当てのトルコ館でチャイをいただく。一杯三百円。トルコ風に角砂糖をしっかり入れて。それから、かつてトルコのバザールで買い求めたスカーフと同じような素材の同じようなサイズのものを求める。トルコ人のおじちゃんがいろいろ相談にのってくれるが、私がいつも二つ折りにして腰に巻いているスカーフは、もともと頭用(イスラム教徒の女性が頭部を隠すために用いる)なのだそうだ。少し小さいサイズのものや、まったく異なるサイズのストールなどはあるのだが、私が求めるものはなく、それなら、と、おじちゃんは、テーブルクロスになるくらいの大きな生地を見せてくれながら、これを自分で切って好きなサイズに縫ったらどうか、と提案してくれる。いやいや、私は手芸工芸はしないのだ、と丁寧にお断りする。求めるスカーフはなかったけれど、青色が美しいタイルの鍋敷き(壁飾りにもできる)を二枚購入。一枚だと七百五十円のところが、二枚買うと千五十円。お店のおじちゃんにトルコ語で、「ありがとう」と「さようなら(立ち去る側)」を伝える。おじちゃんがトルコ語で「どういたしまして。ありがとう」「さようなら(送る側)」と返してくれるのが、そしてそれを聞き取れるのが、うれしい。
トルコ館を出て、隣の大きな建物に移動。おみやげ物屋さんがたくさんと、フードコートが並ぶ。おみやげ物屋さんでは、「のし梅」を自分用に購入。そのあと、スパイスの香りが漂うトルコフードコーナーへ。ちゃんと羊肉の塊が、店先でぐるぐると回転している。お店の上に並んでいる写真付きメニューを見ながら、ドネルケバブにしようか、シシケバブにしようか、キョフテにしようか、迷う。ドネルケバブは店頭のぐるぐる回転中の肉を削ぎ落としたものを野菜と一緒にパンにはさんでオリジナルソースをかけたもの。「ドネル」がトルコ語「回転」を意味するらしい。シシケバブは串焼きにした肉を同じようにパンに挟んであり、キョフテはトルコ風ハンバーグを同様にパンに挟んである。他にもトルコ風のピザや肉詰めパンなど食べたいものがいろいろあるけど、とりあえず気持ちを落ち着けて、ドネルケバブサンドを注文する。夫も同じものにするというので、私のほうは玉葱抜きにしてください、とお願いする。メニューの写真に玉葱が挟んであるからそう言ったのだけど、トルコ人のおじちゃんは、「玉葱は入ってないよ。野菜だけだよ」と言う。ソースの種類は、私はマイルドのほうにして、夫はスパイシーなほうにした。ケバブ屋さんの前のベンチに座って、ケバブサンドをほむほむとほおばる。野菜はキャベツとニンジンの千切り。いいなあ。この近くの人たちは、これが食べたくなったら、ひゅうっと、ここに来て食べられるなんて。ドネルケバブサンド一個五百三十円。
おなかがくちくなったところで、今度は、夫念願の山寺へ。車を停めた駐車場のおばちゃんに駐車料金をたずねると、「五百円で後払いだけど、うちのお店(お土産屋さんと食堂と漬物屋さん)で合計千円以上使ってくれたら、駐車料金は無料になる」と説明してくれる。鍵をおばちゃん(お店)に預けておいて、帰りに受け取るシステム。夫は千十五段の階段を上って、山寺の頂上まで参拝する気満々だけど、私はふもとでゆっくりと待つ気満々。私が「じゃあ、私は、ここの食堂で何か飲んで待ってる」と言うと、夫は「まあ、そう言わずに、下の山門のとこまでくらい一緒に行ってみようよ」と言う。けれど、その後引き続いて夫が「ここまで来たなら、せっかくなら上まで一緒に行こうよ」と言い出すことは簡単に予想がつく。私にとって興味がないことは興味がないのだということを夫には根気よく伝えて私の好みを着実に理解してもらいたい。だから「ううん。いい。私はここでゆっくり山を眺めて待ってるから。いってらっしゃい」と手を振る。夫は散歩に連れ出された直後の犬みたいに、たったかたったかたったかたー、と歩きだす。私は食堂のような喫茶店のような店内で席に着き、まず、甘酒を一杯いただく。今日はお日様はまぶしいけれど、風が強くて肌寒い。甘酒はほんの180ccほどで、私はいっきに飲み干す。次は何を飲もうかな、とメニューを見るけれど、温かい飲み物は、他はコーヒーのみ。普段は飲まない(数年前から飲めなくなった)コーヒーだけれど、昨日今日とはなんとなく飲みたい気分が続くので、飲むことに。このコーヒーがまた、普通のコーヒーカップの量なので、150ccというところか。一口で飲み干してしまえるところを、ちびちびと飲みながら、友達への葉書を書いて過ごす。途中でセルフサービスの水を汲んできて、それを飲みながら、旅の本をぱらぱらと読む。私がそうしている間にも、お店の中には、入れ替わり立ち替わり、参拝を終えたお客さんたちがやってきて、名物「芋煮」と「山菜入り芋団子(ジャガイモで作った団子と山菜がだし汁の中に入っている)」を注文して食べてゆく。隣の席に座った若いカップルのおにいちゃんのほうが、この「山菜入り芋団子」を「むっちゃ、うまい。おかわりしようかなあ。でも我慢しとく」と言いながら、心底おいしそうに食べているのが気になって、私もあとからあれを食べよう、と心に決める。
山寺の山頂まで往復するのには、だいたい九十分くらいかかるらしい。甘酒とコーヒーで温まっていた体がまた冷える頃を待って、私も「山菜入り芋団子」を注文する。これで合計飲食費が千円を超えて、駐車券に無料スタンプを押してもらえた。芋団子はジャガイモっぽい黄色味のある団子でやや透明感もある。だし汁はうどんの汁っぽい味。きのこと山菜がおいしく、ねぎ抜きにしてもらったから私も安心。はふはふ言いながら食べてたら、夫が戻ってきた。向かいの席に座って、水を飲み、「もうヘトヘトでヘロヘロ。今日はこのあと、もうこのまま、宿に入ったほうがいいと思う。もう二度と、山寺山寺、って言いません」と言うほどの満足ぶり。
参拝者は老若男女いろいろだけれど、小学生に満たないくらいの小さな子供は途中で歩けなくなって、その子を抱いたり背負ったりする親たちは、まさに「修行」の様相なのだそうだ。他にも、飼い犬と一緒に歩き始める人も多いのが、この参道の特徴で、でも、その犬たちも最初のうちは、心底嬉しそうに「散歩」を愉しむ様子で、きゅんきゅん軽やかに駆け上がりつつ、飼い主を引っ張っているのに、階段の途中になると、散歩に興奮していたはずの犬が、歩行をやめてしまうらしい。そしてその飼い主は仕方なく、自分の犬を腕で抱きかかえて山頂を目指す。それもまた、まさに「苦行」。夫は「だから、みそきち、一緒に来なくて、本当に正解。無理して来てたら、王様、超ご立腹状態になること間違いない」と言う。私は「王様は、もともとえらいから、自分が立腹するような状況は避けて最初から登ってないでしょ。さすが王様でしょ、えらいでしょ」と返しておく。
この時点で、午後二時前。今日の宿はまだ決めていないけど、どうしようかなあ、と相談をする。山寺のある天童市内で天童温泉でもいいけれど、どうしようかねえ、と話して、とりあえず、少し南にある山上(やまのかみ)温泉にしようか、ということになる。その理由は、これから移動すると、たぶんちょうど、チェックイン可能な時間帯になるから。
移動中の車中で、夫があまりに何度も、「山寺には、もう一生、来れなくてもいいです」と繰り返すので、「まえに四国で、どうやらくんが一人でこんぴらさんに行ったときにも、へとへとでへろへろーって言ってたけど、あれとどっちがたいへんだった?」と聞いてみると、「それは山寺。山寺に比べたら、こんぴらさんなんて、ちょろすぎる」とまで言う。
山寺から五十分弱の運転で、山上温泉駅に着き、駅の観光案内所で、「素泊まり可能な宿を紹介してください」と頼んでみる。最初は「ついさっき、大きな温泉旅館のシングルルーム(洋室)ふたつだけ残っている、と、連絡をもらったところで、ここはお風呂が立派なのがおすすめだけど、どうだろう」ということだったが、私たちが「大きなところでなくていいんです」「個人経営の小さなところで、お風呂もそんなに大きくなくていいです」と言うと、「あ、それなら、空いてるはず。少し離れた葉山地区のところに聞いてみるね」と電話をかけてくださる。私たちが「このあたりの素泊まりのお値段はいくらくらいですか?」と訊くと、係りの人は「六千円くらいかしらねえ。それも訊いてみますね」と言いながらダイヤル。電話をかけてくださった宿の方は「大歓迎よー」と言ってくださり、一泊一人四千円で泊まれることに。「素泊まり四千円。やすいねー」と、私たちも案内所の人も大満足。
早速その宿に移動する。少し小高い丘の上にある、こじんまりとした旅館で、年配のおかみさんが、「ようこそいらっしゃいませー。お天気よくてよかったですねー。桜も咲いてねー」と、てきぱきと案内してくださる。「このあたりは、毎年桜はこの時期なんですか?」と訊くと、「いいえ、いいえ、いつもよりも、今年は二週間程も遅くて。鯉のぼりと桜が一緒だなんてねえ」と教えてくださる。案内された部屋の窓からは、雄大に広がる蔵王が見渡せて、のびやかな気持ちになる。洋式トイレも洗面台も湯沸しポットも茶器もコタツもそろっていて、廊下には共用冷蔵庫もある。床の間には、きちんと本物の生け花がいけてあるし、すべてがたいへんにこぎれい。快適快適。これで四千円はすごいすごい、と、二人とも大喜びで、順番に温泉に浸かりに行く。夫は広島カープの試合をテレビで見たいから、と、ごろりと横になったから、まずは私が先に入浴。男湯と女湯とちゃんと分かれていて、洗い場はシャワーがみっつ。湯船は五人まで入れるくらいの大きさだろうか。お湯はカルシウムの多い含石膏弱食塩泉で、肌がきゅきゅっとさっぱりする。部屋に戻ると、夫は、カープの負けっぷりに挫けて視聴を放棄していて、私が戻るとすぐにお風呂へと向かう。旅の話から逸れるけれど、広島ファンというのは、どうも、勝っているときには熱心に機嫌よく応援するけれど、ちょっと負けるとすぐに挫けて応援できなくなる、という軟弱さがあるように思う。その点阪神タイガースのファンは、勝てばもちろん負ければさらに、その、阪神タイガースという存在そのものを常に変わることなく応援する姿勢が安定していて、ファンとしての格が上のような気が少しする。
お風呂から上がって、夫はテレビを見たりうたた寝したり、私は近隣地図や案内を見たりお茶(赤ルイボスティ)を飲んだりして、二時間以上、のんびりゆっくりとすごす。ときどき、「ゆっくりするねー」「たのしいねー」「くつろぐね」「蔵王きれいだね」と、ぽつぽつと話す。当初は仙台まで足を伸ばそうか、という思惑もあったけれど、ここがこんなに快適なら、もう一泊ここに泊まって、明日はこの近くのどこかに出かけることにしようか、と、どこかの具体的希望があるわけではないままに、話し合う。
ところが、ここで、突如、健康オタクの私のツボを刺激する情報に遭遇する。その情報は、駅でもらった「観光ガイドブック(本ではない。折りたたんだ一枚の紙)」に書いてあったもの。その名は、「クアオルト(気候性地形療法)」。自然の冷気や光を感じながら、森や山の傾斜面を自分の体力に合ったペースで歩く健康法で、そのときに体表面が汗をかいたり熱くなったりする前に早めに衣類などを脱いで体を冷やしながら歩くのがポイント。この地(上山温泉とその周辺地区)では、運動療法と温泉療法が両方できるよ、ということらしい。私は、俄然、明日は、葉山地区(泊まっている宿周辺)の「気候性地形療法認定コース」を歩く気満々になる。夫は「ふうん、行ってくれば。俺は、お城と、映画おくりびとのロケ地にでも行って、共同浴場でお風呂入ってくるかな」と、クアオルトには全然乗り気ではなさそう。
夕ご飯は、車で少し移動したところで見つけた居酒屋さんで、アスパラ炒め、ごぼうの天ぷら、サガリ(牛の横隔膜? 肉汁がたっぷりとある部位)の串焼き、鶏皮焼き、焼き鳥、冷奴、つきだしは筍と野菜とこんにゃくの煮物。夫はビールで、私はウーロン茶。帰りにコンビニでおにぎりを買って帰り、宿の部屋で分け合って食べて、炭水化物の補給完了で満足。
明日も連泊したい旨を宿のおかみさんに伝えたところ、大丈夫ですよ、ということ。ただ、部屋割りを組んでみて、部屋を引っ越してもらうことになるかもしれないけど、またあとで連絡しますね、と言われているので、引越しの場合は、一応一度パッキングはしなくてはならないだろう。でも、朝はチェックアウトのことを気にせずゆっくり眠れるし、昼間も好きなときに宿に戻ってお昼寝ができると思うと、それだけで安心してうれしくて、ただでさえかなりくつろいでいる気分が五割り増しになったあたりでおやすみなさい。