たら汁ととんかつ

五月四日午前旅記録。朝起きて、洗面台で顔を洗う。各階にある給湯設備は、朝の営業はしないらしく、出てくるのはぬるいお湯。ぬるいお湯を保温ポットに入れて部屋に持ち帰り、紅茶を入れて豆乳を加えて、とりあえずいつものように飲む。昨夜買っておいたパンとゆで卵を食べる。パンは「あずき豆乳クリーム」が中に入っているものだったが、豆乳の豆乳らしさが全然わからない、と言うと、夫が「それなら俺もそれを買えばよかった。クリームが豆乳の味がしたらいやだなあ、と思ったから、小豆は食べたいけど、仕方なく我慢したのに。今度見つけたら買ってみる」と言う。
その頃には、もう、女子中学生スポーツ選手たちは全員出かけていて、同じ階にいるのは、部屋の掃除をする宿の人たちのみ。ゆっくりと荷物をまとめてチェックアウト。ナビの行き先設定は自宅。車を発進させて十分くらいして、ふと、ああ、宿の人に、女子中学生たちがなんのスポーツの選手なのか(セパタクローの選手かどうか)質問しようと思ってたのに忘れてたことに気づく。そのことを車内で夫に話すと、「別に俺、知りたくないけん、引き返さんでいいけんね」と言う。
北陸自動車道は、相変わらずスムーズに走れる。お天気も暑くもなく寒くもなく、気持ちのよいお出かけ日和。新潟県から富山県に県境を越えてすぐのあたりに、私たちが立ち寄る「たら汁エリア」がある。たら汁エリアとは、たら汁屋さんがある地域のことなのだが、ここ以外にたら汁を常備している地域を私は知らない。たら汁とは、魚のタラのぶつ切りの味噌汁で、たぶん生姜と牛蒡と小口葱が入っている。タラは小ぶりのものを豪快に切ってあって、肝臓も、卵も白子もあれば、そのまま入っている。味噌汁だけど、味噌の味は限りなく軽やかで、爽やかとさえ感じる味わい。北に向けて旅に出たときには、この地域に立ち寄って、たら汁を食べるのが、私たちにとっての定番のお楽しみだ。
十一時を少し過ぎたくらいで、高速道路を下りる。早めのお昼ご飯として、たら汁屋さんを目指す。たら汁屋さんはたら汁屋さんであると同時に、その他各種定食屋さんでもある。たら汁のおいしさはさることながら、その他定食メニューも単品メニューも小鉢メニューもどれも本当においしい。長距離トラックの運転手さんの多くは、もはやたら汁屋さんでもたら汁は食べず、テーブルの上でホルモンを焼きながら大盛りご飯を食べたりする、その無頼な姿に私たちは密かに憧れている。私はこの日はなんとなく、とんかつに集中したい気分になって、「私は今日は、一人でとんかつ抱えるから」と宣言する。いつもは夫と二人で、ひとつのとんかつを半分ずつ食べるけれど、今日は一人で全部食べたい。
お店に到着して、テーブル席に着く。座敷席もあるけれど、靴を脱いだり履いたりするのが面倒だから、テーブル席で。たら汁を一人前と、とんかつ単品(定食にもできるけれど単品にする)をひとつ、ご飯小を二つ注文。それから、おかず小鉢のショーケースを見に立つ。いつもはバイ貝を煮たものを食べるけれど、今日は貝欲がないからやめて、なににしようかなあ。出し巻き卵もあるし、もずく酢もあるし、魚の卵を煮たのもあるし、小さなお刺身もあるし、冷奴も、タコときゅうりの酢の物も、牛乳も、ヤクルトも、他にもいろいろあるけれど、今日は、冷奴と、蕨のおひたしに決定。この段階で選んだものが煮物などだった場合は、お店の人が「温めてきてあげるよ」と厨房に持って入って、電子レンジであたためてから席まで持ってきてくれる。
たら汁は、いつものように、アルミ鍋にたっぷりと出てくる。一人前を二人で食べてちょうどいい。以前二人前頼んだときには、全て食べ終えたときに、つま先からこめかみあたりまでの体液が全てたら汁になったような気分になって、今後はいつも二人で一人前を注文する、と決めた。一人前でも器に一人二杯ずつ以上の量がある。けれど、今日は、私はとんかつに集中したい気分だから、たら汁は器に少なめ一杯だけもらって、とんかつとご飯とキャベツを繰り返し口に運ぶ。夫が「一切れだけちょうだい」と言うから、一切れだけ分けてあげたけど、それ以外は全部食べた。夫はたら汁を器に四杯近く飲んで、おいしくて満足したけど、お腹が、たらの身と汁で、いっぱいになったと言う。私もとんかつでお腹がいっぱいになった。夫が「みそきちが、いつ、もうこれ以上とんかつ食べられません、ごめんなさい、残った分食べてください、って泣きが入るかと思ってたけど、珍しく一人で全部食べたなあ」と感心しながら私を眺める。「だから今日は、私はとんかつに集中するって言ったでしょ。私はやるときにはやるんだよ」と応える。
私たちが食べ終える頃には、お昼ご飯を食べに来るお客さんで店内が混み合い始める。少し早めに来てよかったね、と話しながら、会計を済ませて外に出る。ちなみにここのお店で食事をするときには、車の中に置いてある小さな手帳(高速道路走行記録記入用)を持ってきて、食べたものとその値段を書いておく。お店のおじちゃんが、ときどき、とってもおおざっぱな会計をしてくれることがあるから、実際に食べたよりも値段が大幅に上回るときには、ノートを見ながら訂正してもらう。ちょびっと上回る分について、「あ、消費税ね」と言われることもあれば、ノートに書いた値段ぴったりの請求で、なんだやっぱり内税価格だったらしい、と思ったり。でも、実価格を下回って請求されることはないから、お店が損をすることはたぶんなくて、お店の存続は大丈夫そうで、安心。
まだまだ富山県の東の端っこだけれども、ここまで戻ってきたならば、自宅まではあともうちょっとの気分になる。実際には二百キロ弱あるけれど、あとちょっと、あとちょっと。さあ、がんばって運転して、元気におうちに帰るぞ、おー。