天国のほとり

「Auf der anderen Seite」という映画に、BSフジのシネマクラッシュ(だったのだろうか。シネマがクラッシュしていいのかな。シネマフラッシュなのかな)(その後確認してみたところ、BSフジではなくBSジャパンであり、シネマクラッシュはシネマクラッシュで合っていた。クラッシュでいいらしい)で、たまたま遭遇して見入る。ドイツとトルコが舞台の映画。最後まで見終えたものの、前半数十分を見ていない私にとって、全体的に謎な話の展開で、最後は「ええええっ。それでおしまい?」と少々動揺しつつ茫然としているうちにエンディングロール(というのだろうか。映画の最後に流れる映画関係者等の文字情報)が流れ去り、映画のタイトルもなんにもわからず、途方に暮れる。この映画は面白いから、DVDを借りて見直したいと思いながら見ていたのに、はてさてどうしたものだろうか、と考える。
テレビの番組表機能で見てみても、放映終了した番組についてはわからず、それなら、と、インターネットのGoogleで、「トルコ ドイツ 映画」とキーワードを入れて検索してみる。見覚えのある画像とともに映画タイトルは「Auf der anderen Seite」であったことがわかる。ドイツ語タイトルをそのまま日本語に直訳するなら「ほかのところで」「向こう側に」「反対側において」くらいになるのだろうか。登場人物たちが、対立したり、すれ違ったり、会えなかったり、を繰り返すことを思うと、なるほど「Auf der anderen Seite」なのかしらねえ、と、ドイツ語にあまり詳しくないなりに、思う。
ちなみにこの映画の日本語タイトルは「そして、私たちは愛に帰る」。なるほど、それも、たしかに、映画の登場人物たちが各自帰結した姿をよく現わしているなあ、と思う。
けれど、もしも私がこの映画(前半数十分見てないけど)に、日本語タイトルをつけるとしたら、というよりも、ドイツ語タイトル「Auf der anderen Seite」を見たときに、頭の中に「天国のほとり」という言葉が浮かんできて、「あれ? Auf der anderen Seite って、英語にしたら、on the other side のような気がするけど、on じゃなくて、at かな、いや、それは今はどうでもよくて、天国も、ほとりも、語彙として出てきてないけど、なんで、天国のほとり、って思ったんだろう。にしても、邦題、天国のほとり、のほうがいいんじゃないかしら。きれいだし、いいじゃん、いいじゃん。わたしけっこうタイトルセンスいいかも」とこっそり思う。
ところが、この映画「Auf der anderen Seite」に関するサイトを見ているうちに、この映画の英語タイトルが「The Edge of Heaven」であることが判明する。天国のはしっこ、天国のさきっちょ、天国のすみっこ、天国のへりのあたり、ということは、すなわち、天国のほとり、だよねえ。
ああ、なんだ。私が思いつくよりずっと前に、「このおはなしは天国のほとりなんだなあ」と感じて言葉にした人が、ちゃんといたっていうことじゃん、と安堵する。
もしかすると、映画の最後に「ええええっ。これでおしまい?」と動揺しながら茫然として見逃したつもりでいたエンディングロールの文字情報の中に英語タイトル「The Edge of Heaven」も含まれていて、それを私の肉眼と脳が、私の知らないうちに受信保存していて、それがドイツ語タイトルを目にしたときに「天国のほとり」というイメージとともに日本語となって表に出てきたのだろうか。不思議だ。
なにはともあれ、レンタルDVD屋さんでこの作品を探すときには、「天国のほとり」ではなくて、「そして、私たちは愛に帰る(Auf der anderen Seite/The Edge of Heaven)」で探すこと。どこにあるかわからなくて店員さんに調べてもらう時にも、「天国のほとり、っていうタイトルなんです」と言って混乱させたりすることなく、「タイトルは、日本語では、そして、私たちは愛に帰る、ドイツ語では、Auf der anderen Seite、英語では、The Edge of Heaven で、監督は、Fatih Akın(ファティ・アキン)さんです」と、きちんと伝えて、在庫や取り扱いの有無を確認したい。