豆腐屋さんと玉梨温泉

玉梨温泉の共同浴場を目指して車を走らせる。「ナビに行き先設定して」と言うわたしに対して、夫は「大丈夫。おれがわかるから」と助手席で言う。「では、道案内よろしくね」と運転する。なんとなくだんだんと気温が低くなってきたなあ、と思っていると、景色の中に雪の溶け残りがあちこちに現れる。
夫が「あ。ごめん。玉梨温泉、通り過ぎた」と言う。それなら、玉梨温泉ではなく、その先の別の共同浴場にしましょうか、と、いうことにして、そちらを目指すが、しばらくすると夫が「やっぱり、玉梨温泉に入りたいから、引き返してほしい」と言う。「それなら、行き先をナビに入れてくれるかな」と言うと、「大丈夫。おれがわかるから」とまた言うから、「わかる人が通り過ぎるくらいわかりにくいところなのだから、ナビに入れましょう」と言うけれど、「今回通り過ぎたのは、雪に目を奪われていたからで、今度は大丈夫」と言う。なんだかまた反抗期妖怪が活躍し始めたのだろうか、と、ややいぶかしみながら、運転を続ける。
夫の案内に従って、本線から脇道に入り、山手へ山手へと走る。どんどん山の中に入る。しばらくすると、夫が「行き過ぎたかもしれん。ちょっと停まって」と言うから、路肩の広いところに車を停める。夫は地図を広げて場所を確認する。「やっぱり来過ぎてるから、引き返して、さっきの豆腐屋さんで豆腐のアイスを食べよう」と、豆腐好きのわたしを誘惑する。
わたしとしては、だから、ナビに行き先を設定しろとあれほど言うたに、そなた、なにゆえ、そこまで自分ナビにこだわるのじゃ、と叱責したいところであるから、豆腐屋さんの駐車場に車を停めて、豆腐屋さんに入るまでの徒歩の間に、夫に「どうやらくんのナビがこれだけ機能しないのだから、今度は車のナビに入れようね。ほら、わたしに、ごめんなさい、は」と促すが、夫は「玉梨温泉を通り過ぎたからこそ、こうして豆腐屋さんまで来れたんだし、よかったじゃん」とくじけない。
それから豆腐屋さんに入り、ソフトクリームを注文する。おそらく豆乳のソフトクリームなのだけど、豆乳苦手の夫が「豆乳だとわからないなあ。おいしいなあ」と食べる。囲炉裏のそばの椅子に座って、ぺろりぺろりと食べていたら、お店の人が「よかったら味見してみてください。揚げたてですから熱いですよ」と、豆腐のドーナツ一個を半分に切ったものをお皿にのせて出してくださる。お礼を伝えてドーナツをかじる。おいしい。口の中にドーナツがある状態でソフトクリームを口に入れると、ドーナツと豆乳アイスの両方のおいしさが口の中で相まってこれまたおいしい。
そうしておいしさを堪能していると、地元のおばあさんが豆腐屋さんに入ってこられて、油揚げ一枚とお豆腐を二丁ちょうだい、と注文される。お店の人は、どのタイプにしましょうか、と、種類を案内なさる。おばあさんは高級豆腐と高級油揚げの値段の高級さに驚いて「安い方にして。一番安いふつうのぶん」と念押しされる。
おばあさんは、囲炉裏端のわたしたちの存在に気づくと、「どちらから来たのですか」という意味のことを濃い方言で尋ねられる。わたしが「福井から来ました」と応えると、「福井というのはどこなのか」と重ねて質問されるから、「ええと、琵琶湖のある滋賀県の上で、加賀のある石川県の下です」と、有名な地名を織り交ぜて説明したつもりだったけれど、おばあさんは、なおも「そのどれもどこかわからんなあ。まあ、わからんいうことは、行ったことのない遠くやいうことやろうなあ」と会津の言葉でおっしゃる。
そこで夫がすかさず「福井は京都の北になります」と言う。すると、おばあさんは「まあ、京都の北とは、それはそれは、また遠いところから」と、ニコニコとおっしゃり、そのあと、「ごっつぉうなってあがらんしょ」というような言葉を発音なさるので、なんとなく「はい。ありがとうございます」と応える。
おばあさんは納得なさったかんじで、お豆腐と油揚げが入った袋を手に持って、お店を出て行かれる。
お店の方(女性二人)が、「同時通訳が必要だったでしょう」「でも、あのおばあちゃん、ニコニコして話してたから、とりあえず歓迎してる、ってことは伝わりましたよね」と言われる。
お店の人が「おばあちゃんが言ってた、ごっつぉうなってあがらんしょ(推定)、って、意味わかりますか」と訊かれて、夫は「うーん、食べてください、かなあ、うーんちがうなあ」と言う。わたしが「えーと、おいしく召し上がっていってくださいね、ですかねえ」と言うと、お店の人が手の指でOKの形を作って「正解、正解、合格」と言ってくださる。夫が「ようわかるなあ」と言うから、「まあ前後の文脈を含めてなんとなく」と応えるが、日本語方言や外国語やそして妻の言うことのとっさの理解に夫はやや難がある。これもやはりある種の推理力が関係しているのではないかと思うのだけれどどうだろう。
豆乳ソフトと豆腐ドーナツをおいしくいただき「ごちそうさまでした」と挨拶して、お豆腐屋さんを出発。
「玉梨温泉の共同浴場の電話番号はないから」「この電話番号入れたら役場に着くからピンポイントじゃないから」と言い張る夫に、「ピンポイントでなくていから。役場でも近くの温泉旅館でもいいから。そこに着けばとりあえず共同浴場の場所を訊くこともできるじゃん。それに、どうやらくん、わかるんでしょ。近くに行けばわかるなら、とりあえずナビさんに近くまで連れて行ってもらって、そこからはどうやらくんナビで行けばいいじゃん」と説き伏せて、近隣の温泉旅館の電話番号を入力する。最初からこうすればよかった。
ナビさんの案内に従って走行していると、左手に温泉地風の建物の一帯が見える。ナビさんが「目的地に近づきました」と言うから減速してゆっくり走行する。夫が「ここ、ここ」と確定案内をしてくれるから、その方向の橋に入っていく。
広い空き地の駐車場に車をおいて、川沿いの共同浴場に向かう。途中にある公衆トイレに入ると、公衆トイレなのにちゃんとウォシュレットになっていてきれいに保たれている。
共同浴場は、一人二百円以上のお金を箱に入れて入浴。お湯は無色透明だけれど、口に含むと鉄独特の渋い味がする。鉄の成分のため、浴槽の縁や床は赤茶色に染まっている。お湯の温度は高めで、足湯、腰湯、半身浴と順に身体をお湯に慣らしてゆっくりと入る。
先に入浴されていた地元の女性に「お先に失礼します」と挨拶すると、「あら、もう? まあ、ここのお湯熱いからねえ」とおっしゃる。「はい、しっかりあたたまりました」と伝えてお風呂からあがる。
お風呂上りには、さきほどこぶし館で購入したアクアイズをごくりごくりと飲む。おいしい。
今宵宿泊する大塩温泉に向けて出発。