大塩温泉夕ごはん

五月二日夜。大塩温泉の夕ごはんは、一階の大きな広間でいただく。舞台付きの広い部屋を、アコーディオンカーテンで半分に仕切って、それでも二人にはずいぶんと広くて、座布団に座ったときに背になるあたりにストーブが焚かれていても少し寒いかな、と思うくらい。
宿にチェックインしたときに、「食事の時に飲みたいので、冷蔵庫で冷やしておいていただけますか」と頼んでおいたアクアイズとグラスを持ってきてくださって、まずはそれをぐびぐびと飲む。夫が熱燗を一本お願いする。
食事はすべて宿のおばさんの手作りで、「ネギタマネギニラニンニクなしで作りましたからね」と安心させてくださる。「馬刺しは、だいじょうぶですか」と訊いてくださるので、「大好きです」と答える。東北地方にやってくると、馬刺し文化圏に入るようで、馬刺しとの遭遇率が高くなるのがうれしい。宿のおばさんが「よかったら、このニンニク味噌で馬刺しを食べてみてください。あっ。ニンニク味噌はニンニク入ってるっ」といったんテーブルに置いたニンニク味噌を下げようとなさる。夫が「いえ、ぼくは、大丈夫なんでいただきます。そのままください」と言う。おばさんは「じゃあ、奥さん(わたし)には、生姜をおろしてきますからね、ちょっと待っててくださいね」と厨房へ。夫が「ニンニク味噌はこれだけつけて食べるんかなあ。醤油もつけるんかなあ」と首をかしげるから、訊いて教えてもらおうよ、と言う。
熱燗とおろし生姜を小皿に入れたものを持ってきてくださる。夫がニンニク味噌について質問すると、「醤油に少しずつ溶かしながらでもいいし、そのまま少し馬刺しにのせて醤油をつけてもいいし、お刺身でわさびを使う感覚で使ってみて」と教えてくださる。
メニューの中心は山菜。今年は春がくるのが遅くて、まだ山菜の種類が少ないのだけど、ようやく出始めたから早速、とのこと。こごみの胡麻和えがとてもおいしい。
山菜の天麩羅は、カタクリの葉とウドとワラビとフキノトウ。山菜の苦味がおいしいと感じるくらいに大人になってよかったなあ、としみじみとしながらいただく。
こごみは胡麻和え以外にも、さっと茹でてマヨネーズで和えたものに少し醤油をたらして食べるのがこのへんの家庭料理なんですよ、と出してくださったものをそのとおりにしていただいてみると、たいへんにおいしい。
魚はヒメマス。近隣の沼沢湖で取れるのだそう。ヒメマスはニジマスとは別の種類の魚で、成長してもニジマスほどには大きくならず、この塩焼きになってるのの大きさくらいまでにしかならないんですよ、とのこと。ヒメマスは、全国でも、沼沢湖と、あといくつかの限られた湖にのみ生息する魚らしい。アユよりもイワナよりもわたしは好みの川魚かも。
おかずは他にもいろいろと地元の山菜お野菜中心においしく作ってあり、どれも五葷がきちんと抜いてあることに感心する。味付けも非常に上手で、「何もかけなくてもそのままでちょうどよくしてあるので、まずはそのままで食べてみて」と言われるとおり、そのままがぴったりとちょうどよい味付け。
ご飯はおひつにたっぷり入っていて、夫が日本酒を飲んでいる間に、わたしはご飯を食べ始める。このご飯の炊き加減がまた絶妙に上手で、お米の湯気の香りがまずおいしく、口に入れたご飯を噛めば噛むほどに口に広がる甘みと旨味が濃い。「おかずも全部おいしいけれど、ご飯の炊き方がすっごく上手だ」と感心しながらたくさんいただく。
今回の旅行では「山菜をたくさん食べたいね」と話して家を出てきたけれど、その希望が旅行二日目で既に十分に叶った。
わたしたちの食事がひと通り揃った頃に、広間の外の廊下を、宿のおじさんと、おそらく宿の息子さん(わたしたちと同年代くらい)が、帳場から厨房へと歩いて移動する姿が障子越しに見える。これから宿の方たちの夕食なんだね、と話す。
お酒を飲み終えた夫がご飯を食べて「う、うまい」とつぶやく。「でしょ。おいしいでしょ。炊き加減が上手でしょ」と自慢する。
すべてをおいしくいただいて、食べたら身体が暖かくなったね、ごちそうさまでした、と手を合わせて、夫に「わたしは先に帰るけど、あとで、ごちそうさまでしたの挨拶をしてから上がってきてね」と頼んでから、わたしは先に部屋に戻る。夫は一人になった大広間で食後の煙草を吸う。
部屋にはお布団が敷いてある。夜になってもうすっかり寒いから、またファンヒーターをつける。ファンヒーターの前の少し離れたところにタオルハンガーを置いて、お風呂で使って濡れたタオルをかけているのがすぐに乾く。
夫が部屋に戻ってきてしばらくしてから、わたしはもう一度内湯に入りに行く。脱衣所の洗面台には蛇口がふたつあって、ひとつは「炭酸水」と表示されている。出して口に入れてみると、たしかにぱちぱちと炭酸水。夕方井戸で汲んで飲んだ炭酸水に比べると、ミネラルの味が少し薄くて飲みやすいような気がする。お風呂ではゆっくりと歯磨きをして、あたたまる。
お風呂上りは火照っていても、その後間もなく身体が冷える気配が訪れて、お布団に入る前には、ヒートテックの半袖を着て、ヒートテックの長袖を着て、コットンの下着を着て、コットンの長袖シャツを着て、コットンのカーディガンを着て、さらに睡眠肩掛けを羽織る。下半身は下着の上にヒートテックのあったかパンツを穿いて、レギンスを重ねて、寝間着用ズボンを穿いて、レッグウォーマーをして、それでもまだ寒そうだから、貼るカイロを下腹部と腰の下着の上に貼る。それでも、ファンヒーターを消してからお布団に入ると、敷き布団が近年稀に見る煎餅布団で、毛布と掛ふとんをかけてても、畳の下からの冷気がしんしんと身体に伝わる。
ここ大塩温泉は、ソフトバンク携帯電話の圏外だから携帯電話の電源は切ってある。もちろんネット環境もない。卓とコンセントの位置も今日ももうひとつ。そういうわけでカバンの中で待機するネットブックさんは引き続き待機。