まずはカタクリ

旅記録の時系列が前後するけれど、五月二日のお昼過ぎのはなし。お昼ごはんに玉こんにゃく(夫はシシタケご飯と山菜汁)を食べたところを出発して間もなく、道路脇に「カタクリ群生地はこちら」の立て看板を見つける。なんだと、カタクリだと、それは見に行かねばなるまい、と、私はすぐにハンドルをその矢印の方向にきる。夫は「な、なんで、いきなり」と言うけれど、「なんでって、カタクリなんだよ、しかも群生だなんて、見逃すわけにいかないでしょ」と言い切る。
カタクリ群生地はこちら」の看板が行く先々に立ててあり、その矢印に導かれて、山へ山へと登っていく。夫は「これから行く先に、おれたち以外のお客さんがいると思う人! しーん」と、カタクリをなぜわざわざ見に行くのだ、という不思議な気持ちを表現している。
山をだいぶん登ったところの左手に「順路」と書いてある遊歩道の立て札が見えて、右手に舗装されていない駐車場が見える。車の中からでも薄桃色のカタクリの花が地面にたくさん見える。わあ、わあ、カタクリがいっぱいだあ、と、興奮して駐車場に入ると、地面のぬかるみの水たまりの泥が車いっぱいに跳ね返る。車をおりて、カタクリの花に近寄る。「くうっ、カタクリだよ、こんなにたくさんっ、カタクリさん、失礼しますよ、花の中を見せてくださいね」と、花の先を上に向けて中を見る。花の中の造りも微細で美しい。
駐車場には、わたしたちのあとに入ってきた家族の人達(大人ばかり)がいて、その人達はカメラを持って、遊歩道に歩いて入って行く。わたしたちは、もう一度車に乗って、もう少し山の上まで行ってみることにする。坂を登ったところには、舗装された駐車場と、テントを張った販売所と、そして先ほどの群生の何十倍もの広さの群生カタクリがびっしりと覆いつくす広い薄桃色の斜面が目の前にあらわれる。いろんな地方のナンバーブレートの車が停まる駐車場に車を停めて、一面カタクリの遊歩道に歩いて行く。
遊歩道には、何十人かのお客さんがいて、本格的に三脚を立てて写真を撮影する人も。夫は「おみそれしましたっ。カタクリを甘く見てました。こんなにたくさんの群生だとは思ってなかった。ミズバショウならともかく、カタクリがこんなに人気があるとは知りませんでした」と言う。
「わたしはミズバショウよりもカタクリ派よ」
「そんなにカタクリ好きだとは知らんかったなあ」
「なかなか、そんなに、カタクリを見れるところってないからねえ。カタクリは時期も限られるし」
山の斜面いっぱいのカタクリの中をぐるりぐるりと歩く。斜面や勾配に興味の薄い(坂道がそれほど好きではない)わたしにここまで斜面を歩かせるとは、さすがカタクリ
カタクリを何度も、立って眺めたりしゃがんで眺めたり、存分に堪能する。自分の脳内にじゅぱじゅぱと快楽物質が分泌される音が聞こえる。
斜面のカタクリを満喫しておりてきて、テントの販売所を覗く。売り場の人に、「ここのカタクリは、生えていたものなんですか。それとも、植えたものなんですか」とたずねると、「もともと生えてたものもあったんですが、群生地になるように、あとから追加で植えたら、いっぱい咲くようになったんですよ」との説明。売店ではホットプレートで焼いたおやき(中身は高菜ではなくて野沢菜)や飲み物などが販売される。夫がペットボトルの緑茶を買う。車に戻って助手席の夫に「ああ、満足したね。おつきあい、どうもありがとう」と伝えて、カタクリの山をあとにして、こぶし館を目指す。