磨崖仏(まがいぶつ)

またもや、旅の記録が前後するけれど、磨崖仏のはなし。
五月二日に、大塩温泉に行く前に、玉梨温泉に入って、それでもチェックイン可能な時刻である夕方四時にはまだ時間がだいぶあったから、周辺案内として掲載されている「磨崖仏」に立ち寄る。
磨崖仏とは、山の岩場を仏様の形に彫ったもので、ここ鮭立(さけだち、地名)の磨崖仏は全部で五十一体。
昔、このあたりを深刻な飢饉が襲ったときに、あまりの惨状にこころを痛めた僧侶が、飢饉の終焉と復興を念じて仏様を彫った。その仕事はその僧侶から弟子へと引き継がれ(それほど飢饉が長引いたということなのだろうか)(「そういうわけではないんですけど」と夫が言う)、お地蔵様サイズの仏様が五十一体彫られた。
しかし、この磨崖仏、一応観光ガイドブックその他の資料に載っているのだけれど、行ってみると、まだ寒い時期だからなのか、仏様達全体が板で覆って隠されている。わたしはその手前の斜面のところで雪解けのぬかるみにくじけて、「これ以上は、靴が防水じゃないから行けない。どうやらくんひとりで行ってきて」と声をかけて乾いた草の上で靴が濡れないようにして夫を見送る。夫がてくてくと近寄って、板と板の間の隙間から仏様を見物する。戻ってきた夫は「板で隠してあった。たぶん雪除けで、もう少し雪が解けるまであの状態なんかもしれん」と言う。そして「ここの仏様はどれもみんな小さめでそれほど芸術性が高いわけではないけど、同じ磨崖仏でいうならば、タリバンに破壊されたバーミヤンの磨崖仏は大きいだけじゃなくずいぶん芸術的で立派なものだったということなんだなあ」とも。
「あと、大分県臼杵(うすき)の磨崖仏も立派で有名」
「どうやらくん、見たことあるん?」
「ある。写真で。行って見たことはないけど」
わたしは「磨崖仏」という文字の読み方が「まがいぶつ」であるということを今回初めて知ったくらい「磨崖仏」との縁は薄い人生を送ってきたが、夫は「磨崖仏」をすんなりと「まがいぶつ」と読めるくらいには磨崖仏の存在を意識する人生を送ってきたようだ。
地面に雪がある山かげは、きいいんと寒い。早く大塩温泉のお風呂に入って温まろう、まだちょっと早いけど、これくらいの時間ならきっとチェックインさせてもらえるよ、と言いながら、磨崖仏をあとにする。