おそば屋さんでわらびおにぎり

五月四日午後。薬局で薬を購入後、商店街を歩いて、お蕎麦が食べられそうなところを探す。結局、隣駅の七日町駅の前のあたりまでひと駅分歩いて、営業しているおそば屋さんに入る。
席は空いているのだけれど、片付けが追いついていない様子で、少しお待ちいただけますか、とのこと。さらに「これから蕎麦を打ちなおしてゆでますので、少々、二十分程度お時間をいただくことになりますが、かまいませんでしょうか」と訊かれるから、もちろん、打ち立て茹で立てのほうがうれしいです、と承諾。
しばらく待って、カウンター(囲炉裏)席に夫とふたりならんで座る。夫が「ざるそばとわらびおにぎりを注文して」と言ってからトイレに行く。お店の人が注文を取りに来てくれて、「ざるそば二つと、わらびおにぎりを一つください」と頼む。お店の人は注文内容を繰り返したあと、「今、山菜の天麩羅がおすすめメニューなんですけれど、ご一緒にいかがでしょうか」と勧めてくださる。「そうですね。おいしそうですね。では、山菜天ぷらも一つ追加でお願いします」と注文。
私たちが座ってお蕎麦を待つ間にも、続々とお客様が来店する。給仕の女性店員さん(二名)は、相席でよいかを確認したり、相席を受け入れてもらえるかを既にテーブルに座る人たちに確認したり、の作業をしつつ、できあがったものを出し、帰ったお客様の食べ終わった食器をさげる。
手際がすばらしくよいわけではないけれど、それなりに祝日の客足の多さをさばいている彼女たちよりも、そば打ち担当のおばあさんと調理担当のおじさんがややテンパっていて、そのテンパリ具合が彼女たちの作業をさらに滞らせるエネルギーになってる感が漂う。
夫が「自分たちも入っておいてなんなんだけれど、このお店、けっして、サービスのレベルが高いわけじゃないのに、なんでこんなにお客さんが多いんだろう」と不思議がる。「それはね、わたしたちがそうだったみたいに、他に今日このへんで営業してるおそば屋さんがないんだよ」とわたしは予想する。
しばらく後に供されたお蕎麦は、やや白っぽさのある細いお蕎麦。おいしいのはたしかにおいしいが、個人的には福井の「おろしそば」のほうが好きだな、と感じる。山菜の天麩羅は、山菜独特の苦味と爽やかさが実においしい。夫と半分ずつ分けあい、「ああ、ここでも山菜欲が満たされたねえ」と大満足。
夫が注文した「わらびおにぎり」を一口食べて、「う、うまい。これはうまい」といたく感動する。どれどれ、と、お箸でひとかけ分けてもらって味見をしてみると、たしかにたいへんにおいしい。わらびの、なんだろう、塩漬けか何かのお漬物にしたものを小さく刻んで炊きたてご飯に混ぜ込んでおにぎりに握ってあるかんじ。
食事が終盤に入った頃に持ってきてくれたそば湯もおいしい。わたしが食後に飲もうと思ってテーブルの上にロキソニンを出して置いているのを見て女性店員さんが「お薬用にお水お持ちしましょうか」と尋ねてくださり、お願いする。夫が「サービスレベルが高くなくても、薬を飲む客にお茶とは別に水を持ってくることはできるのか」とぼそりと言うから、「他の人やお客さんのテンパリや焦りがなければ、大丈夫なんだよ。誰かがテンパったり焦ったりするとそのエネルギーが店内で増幅されてサービスの質に影響するけど。それなりにがんばってちゃんと仕事してはると思うよ。いい仕事を引き出せるかどうかは、お客さんの在り方によっても違ってくるし、同じ場でエネルギーを分担している人たちの在り方によっても違ってくる」と応える。
食後のロキソニンを飲んで、ごちそうさまでした、と手を合わせて席をたつ。レジでお金を支払って外に出て、しばらくゆっくりと歩く。食後に味の完結として、甘いものとお茶がほしいかんじだから、どこか喫茶店かカフェみたいなところに寄りましょう、とそういうお店を探す。夫が「あ、ここ」と選んだお店には、先客の人たち、若い女性たちが多く並んでいる。人が多いところで並んで何かを待つ、ということが、快とは思えないわたしはすぐに「別のところにしよう」と提案する。夫は場合によっては、人が多いところで並んで何かを待つのはエンターテイメント性があってたのしい、と思う部分もあるらしく、「すぐすぐ楽勝」などとよく言う。結婚して間もないころは、その「すぐすぐ楽勝」に騙されて、というか、わたしが勝手にわたしの都合のよいようにその瞬時性に期待を寄せては、全然すぐでも楽勝でもないじゃないかっ、と、疲労することがよくあったけれど、最近はもう、夫の「すぐすぐ」は二十分以上二時間以内くらいでも「すぐすぐ」で「楽勝」になることを知っている。だから、この日も、さっさとその店を出て、別のお店を探しながら散歩。
宿に戻る方向に歩きつつ、大きな通り沿いを歩く。通りの向こう側に「ままどおる」のお店を見つける。そして今自分たちが歩いている通りの側にコーヒー専門店が見える。おお、求めていたものが両方手に入るなあ、と喜んで、まずは「ままどおる」のお店に入る。
ままどおる」とは、福島のお菓子で、広島でよく売っている(製造元は愛媛県なのだが)「ポエム」がさらにしっとり柔らかくなったかんじでおいしい。前回、数年以上前に、福島に来たときに食べて以来、ままどおるファンだ。
ままどおる六個と、エキソンパイ(パイ生地の中につぶあんクルミが入っている)を二個買って、横断歩道をわたって、コーヒー専門店に入る。このお店には、若い女性たちも、大勢の人たちもいなくて、どちらかというと老人に類する年代の人たちが、ゆっくりと新聞を読みながら珈琲を飲んでいらして、たいへんに落ち着いた雰囲気。混雑もしてないし、並んで待たなくてもよいし、実にわたし好み。
夫は「本日のケーキセット」でヨーグルトケーキと本日の珈琲を、わたしはカフェオレを豆乳で注文する。メニューに「すべてのメニューのミルクは豆乳に変更できます」と書いてある。この日は「あ、今日は珈琲を飲める」という身体状態だったから、ゆっくりとおいしくカフェオレ豆乳版を飲む。夫はケーキを食べて珈琲を飲んだら、座ったままでうたたねをしていて、「少し早いけど、もう宿に入って、お昼寝しようよ」と提案する。
茶店を出て、宿の近くのスーパーで翌日の朝ごはん用の買い物をする。夫は野菜ジュースと飲むヨーグルトを、わたしはままどおるを朝ごはんに食べたいし、豆乳は持参のものがあるし、で、飲むヨーグルトだけ購入。夫はほんとうはパンも買いたかったけれど、思うものがなくて延期。
宿に戻って「少し早いんですが、部屋を使ってもいいですか」と宿の人に話すと、すぐに部屋に案内してくださる。部屋は宿の二階の和室。六畳かな八畳かな。二階の廊下の端っこに、共用の冷蔵庫と湯沸かしポットと紙コップと烏龍茶ティーバッグが用意されているから、翌朝の紅茶用のお湯は安心。トイレとお風呂は一階のものを共用。お風呂は五時から十一時までに順番に入る。女性または家族入浴の場合は、中から鍵をかけて宿泊客で待ちあって順番に使うシステム。
部屋に入って、荷物をほどいて、さきほどスーパーで買った飲むヨーグルトを飲む。先に飲んだ夫が「吸引力で耳の下が痛くなる」と言う。たしかに、紙パック容器にくっついているストロー(引き伸ばしてカチッとしてから使うタイプ)が妙に細いから、ヨーグルトのような粘性の高いものを吸うのは力がいるのかしら、と話しながら飲む。
「どうやらくん、パックに、よく振ってから飲んでください、って書いてあるよ」
「よく振った。振ってから飲んだけど、飲むヨーグルトにしてはかたい」
「そうなんだ、どれどれ」
実際に飲んでみると、たしかに、吸いあげるのにかなりの吸引力を要する。職場で介護用品をお客様にご案内するときに「ご利用になられる方は、液体を口で吸い込む力は十分におありでしょうか」というようなことを確認して、注ぐタイプの「吸い飲み」とストローで吸い上げるタイプのプラスチックカップの両方をご案内さしあげるのだけど、このヨーグルトの吸い上げづらさは、吸う力の問題とはちょっと違うような気がする、と思って、紙パック容器をまじまじと見る。
「どうやらくん。これ、四角い紙パックだし、てっきり、飲むヨーグルトだとばかり思って買ってきたけど、どこにも飲むヨーグルトとは書いてないよ」
「え? あ、ほんとだ。ヨーグルト、としか書いてない」
「でも、ストローついてるし、飲んでいいんだとは思うけど、器に出してスプーンで食べたほうが食べやすいかもしれない」
「そうそう。そういうかんじのかたさ。そうかー、飲むヨーグルトじゃなかったのか」
そのヨーグルトの名前は「会津の雪ソフトクリーミーヨーグルト」。その他の表示は、発酵乳、180ml。製造は「会津中央乳業」。JANは、4905144000120。
ヨーグルトを飲み終えたら、一階のお風呂場の洗面台(二台あって、お湯が出る)で歯磨きをして、部屋のお布団の上に用意されている浴衣に着替えて、さあ、お昼寝するよ。