なめこおろしとニシン天ぷらそば

五月四日夕方。会津若松の小さな宿でお布団を敷いてお昼寝をしたら、身体が少しすっきりとする。夫も昼寝でちょっとさっぱりした様子。夕方五時からお風呂に入れる、ということで、夫は五時になると同時に、一階へお風呂に入りに行く。わたしは布団の中で、眠りの世界から自分の身体への移行に時間をかける。
お風呂から上がってきた夫に、「お昼ごはんを食べたおそば屋さんなんだけどね、どうして人がたくさんくるのかな、って言っていたけど、さっきガイドブック見てたらね、ガイドブックに載ってたよ。だからなんかも」と話す。夫は「へえ、そうなんや。なるほどね」となんとなく納得した様子。
六時を少し過ぎてから、夕ごはんを食べに行こう、と出かける。宿の一階の広間では、夕食の準備が始まっているようで、すき焼きのような甘い玉ねぎと甘辛い調味料の香りが漂う。同じ宿に泊っているのは、私たち以外にも何組か(単身の人もいる)いて、それでも宿の部屋の使用率は半分以下。
昼間に歩いた商店街をまた歩く。あんまり遠くないところで、食べたいね、ということで、何軒かみつくろった中の、焼き鳥のある居酒屋に入る。焼き鳥を何種類かと、なめこおろしと冷奴を注文。福島の日本酒の熱燗も。この「なめこおろし」が、大根おろしとナメコの水煮を器に入れてあるだけのものなのだけど、思いがけずたまらなくおいしい。五臓六腑にしみわたるおいしさ。
ここで軽く食べてから、あとでとなりのおそば屋さんでお蕎麦を食べて帰ろう、と話しながら食事をすすめる。
しかし、店内のメニューには、蕎麦もあるのだけれども、「蕎麦の注文は夜八時までにお願いします」と書いてある。夫が「これは、もしかすると、ここのお店で蕎麦を注文すると、となりの蕎麦屋から持ってきてくれるのではないか。だとしたら、わざわざ隣に行き直す必要はないのではないか」と予想する。そう予想して、いろんなことを観察してみると、たしかに、一品物を注文したときに、厨房に注文を通して持ってきてもらうときに持ってきてくれる人の出で立ちが、なんとなくお蕎麦屋さんっぽい。
蕎麦のメニューは充実していて、どれにしようか迷う。なめこおろしのおいしさに打ちのめされたわたしは、「なめこおろし蕎麦」にしようか、どんなものなのか食べたことがない「ニシンの天ぷら蕎麦」にしようか、迷う。夫は「おれは、ニシンの天ぷら食べたことないから、これ」とさっさと決める。結局わたしは、ニシンの天ぷら蕎麦と。それとは別に、もう一度単品で、なめこおろし、も注文する。
お蕎麦は、やはり、となりのおそば屋さんから持ってきてくださっているようで、となりのおそば屋さんと、焼き鳥の居酒屋さんは、中の通路で繋がっているよう。テーブルには明らかにお蕎麦屋さんのものである道具と食器にのったお蕎麦が供される。
ここのお蕎麦は、お昼に食べたものよりも、コシがしっかりとしていて、噛みごたえと蕎麦の香りが高い。ニシンの天ぷらは、おそらく生のニシンを天ぷらにしてあって、初めて食べるもので、おいしいのはおいしいけれど、自分でニシンを買ってきてまで天ぷらにするかどうかというと、そこまではしないな、というかんじ。そもそもニシンを生の状態で売っているのをわたしはあまり見たことがない。そして、わたしの日常食文化の中でのニシンとのお付き合いは薄い。近所のスーパーで「身欠きにしん」を見かけることはあるけれど、自分で買って料理したことは、そういえば、ない。
二度目のなめこおろしもまたおいしい。なめこ大根おろしをぐるぐると混ぜ、ほんの少し醤油を垂らし、さらに混ぜて、そのぬるぬるを食べる。このナメコはぬるぬるとしているだけではなく、キノコとしてキョンキョンしているのが実においしい。これを、釜揚げうどんや、素麺や、ご飯などにかけてもおいしいはず。ああ、思う存分食べたい。
夫が「このなめこは、たぶん缶詰だと思う。缶詰を開けて、大根おろしはお店でおろしてるかもしれんけど、それを混ぜただけなんじゃないかな」と言う。
「缶を開けて、大根おろしと混ぜるだけ、というところが、実に、わたしに向いていると思うから、ナメコの缶詰に出会ったら買いたい」
「ナメコの缶詰屋さん、今日、昼間に、見たぞ。ナメコだけで商売やっていけるんやろうか、と思ったけど」
「明日、また、どこかでちょうどよく出会えたら、そのときには買おう」
食後のそば湯もおいしくいただいて、満足してお店を出る。お店には、わたしたち以外には、わたしたちよりも先からいた年配の男性と、わたしたちよりも少しあとに入ってきた男女の一組、のみ。年配の男性は、焼き鳥を焼くおじさんに、延々野球の話をしている。どうもおふたりとも学生時代には、それぞれに野球部だったようだ。
宿に戻る前に、近くのコンビニエンスストアに立ち寄る。翌日の朝食用にゆで卵を(夫はパンも)購入。
宿に戻ってから、お風呂に入ろうとしたけれど、他の人が入浴中だったので、しばらく部屋で待つ。男女別になっていない共用のアウトバスタイプの宿は、他のお客さんがいたときに、このお風呂を空くのを待つ時間と、自分がお風呂に入っているときに次に入るのを待つ人のことを考えて少しだけせわしない気持ちになるのが特徴だ。
トイレに行ったり、歯磨きをしたりして、何度か、お風呂を偵察するが、なかなか空かない。部屋で歯間フロスをかけていたら、トイレから戻ってきた夫が「お風呂空いたみたいだったよ」と教えてくれるから、すかさず一階におりる。
脱衣所に入ったら鍵を閉めて、洗面台で歯磨きの仕上げ磨きをする。それから裸ん坊になって、浴室へ。洗い場はシャワーがふたつ。浴槽は、がんばれば大人四人が一度に入れるくらいの大きさ。入浴中に、何度か他の人が、お風呂の空き具合を見に来る気配を感じる。男性同士であれば、同時入浴可になっているから、脱衣所のドアを開けようと試みる人もいる。鍵がかかってて開かないことで、あ、いま、女性が入浴中なんだな、と判断して去る。気は急くけれど、居酒屋さんの他のお客さんの煙草で、髪の毛がくさくなっているから、頭も身体も洗う。夜になると気温がいっきに低下して、シャワーだけでは寒くてどうにもならなくて、大きな湯船の端っこにぼちゃんと入る。
温まって上がったら、脱衣所のドライヤーで髪の毛を乾かす。いつもなら、わたしの剛毛に対応した強力な旅行用携帯ドライヤーを同行しているのだけれども、それがあれば、自分の部屋の中でゆっくりと乾かせるのだけど、今回はそれを忘れたので、宿のドライヤーを借りる。このドライヤーが、「そんなことで、世の、剛毛を、乾かせると思っているのか!」と叱咤したくなる仕事ぶり。とりあえず地肌をしっかりと、その他は中くらい、乾かしただけでよしとする。
次にお風呂に入ろうと待つ人達に聞こえるように、脱衣所の扉を勢い良く、少し音を立て気味に開ける。部屋に戻って、スキンケアをしてから、持参のタオルで髪の毛をタオルドライ。わたしがお風呂に入っている間にガイドブックを見ていた夫が「昼間に入った喫茶店も、ガイドブックに載ってたよ。でも、あんまり観光客の人いなかったね」と言う。
ここの宿では、タオルは、脱衣所の洗面台のカゴの中に、洗いたてのものがたっぷりと入れてあり、ご自由にお使いください、となっている。部屋にはタオルの備え付けはない。浴場で使い終わったタオルは、一段低いところに置いてある使用済タオル入れに入れる。借りようかな、と思って触ってみたかんじが、合成洗剤で洗ってある感満載だったから、アレルギー性皮膚炎傾向のあるわたしはおとなしく持参のタオル(自宅で合成洗剤ではない自分にだいじょうぶな洗剤で洗濯したタオル)を使用した。
この宿のお布団は薄いのだけど、寒くもなく寝心地が良い。枕の高さが非常に低いのも寝やすさの一因かもしれない。
明日は、予約をとってある熱塩温泉に泊まって、チャコールバーデンという名前の岩盤浴に入るのだ。ここ数日の福島の寒さで冷えた身体を、芯までぬくぬくにするぞ、と、わくわくしつつ就寝。