荊防敗毒散と田七人参

五月五日の朝は宿の自室で、紅茶豆乳と、ゆで卵と、ままどおる(福島のお菓子。西洋風饅頭)、で朝ごはん。
今回は水分補給に毎日炭酸水を飲んでいるからなのか、旅行中のごちそう続きにしては、便通が快調。夫も同じらしい。
昨日ロキソニンを買った薬局で、追加で薬を買って行きたいから、と、宿をチェックアウトしたあと、その薬局に向かう。薬局のある商店街が、今日は歩行者天国になっていて、車が入れない。仕方なく、駅のそばにあるスーパーの駐車場に車を停めて、歩いていくことにする。夫は車の中で待つという。
歩行者天国になった商店街の通りでは、いろんな出店や催し物がにぎやか。ああ、そうか。今日は五月五日のこどもの日だから、それで催し物なのか。
薬局に入ると、昨日ロキソニンを売ってくださった薬剤師の男性が迎えてくださる。
「昨日は、ロキソニンをありがとうございました。実は歯肉の奥に炎症が起きてるみたいで、感染してるかんじの痛みがあるんです。ちょっと長引いていまして、抗生物質も何日かは飲んでるんですけど、もう少しよくならなくて。炎症と痛みにはロキソニンで対応するとして、もう少し、こう、消炎と排毒を促してやるような手助けをしてやりたいなあ、と思うのですが、ペラックT錠のようなトラネキサム酸か排膿散のような漢方薬をなにか使おうか考えて、相談にのってもらいにきました」
「ペラックTも排膿散もこちらにあるのはあるんですが、ぼくが以前歯茎に炎症が起きて化膿して、耳の下から顎のあたりまで、ぱんぱんに腫れたときには、自分は荊防敗毒散(けいぼうはいどくさん)と、こちらは医薬品ではなくて分類としては健康食品になるんですが田七人参を併せて使ったのがよかったんですよ。荊防敗毒散は、十味敗毒湯よりも局所にシャープに作用するかんじの排毒排膿効果があるのが頼もしいといいますか」
「十味敗毒湯は、わたしも小粒タウロミンでよくお世話になるんですが、おだやかに、まんべんなく、よい仕事をしてくれるかんじですよね。荊防敗毒散は、まだ飲んだことがありません」
ここで、別のお客様が来店され、処方箋調剤を希望される。「どうぞ先にしてさしあげてください」と言ってから、わたしは店内の見学をたのしむ。
少しすると、男性薬剤師とは別の、女性薬剤師があらわれて、調剤の患者さんにいくつかの問診をされる。男性薬剤師は、調剤を終えるとその薬を女性薬剤師に手渡してから、わたしの前に戻ってこられる。
調剤室が見えるガラス窓の手前にある椅子に腰掛けて、荊防敗毒散の話の続きを聴く。
「荊防敗毒散、ぜひ飲んでみたいので、それを、そうですね、分三(一日三回服用)で三日分お願いしたいのですが、おいくらくらいになるものですか」
「一日五百円でお分けしていますので、三日分だと千五百円になります。メーカーの分包品ではなくて、うちの分包機で包んだものになりますが、かまいませんか」
「はい。それは全然かまいません。分包のお手数をおかけしますが、よろしくお願いします。ところで、田七人参なんですが、わたしは、高麗人参紅参の丸剤を持ち歩いておりまして、必要に応じて愛用しているのですけれど、田七人参と使い分けるとしたら、どういうイメージになりますか」
「そうですねえ。紅参はどちらかというと、めぐりを促してやることや、胃腸や内蔵をあたたかくして免疫力を高めることや、自律神経を整えるのが得意ですよね」
「はい、はい、そうです」
「田七人参にもそういう作用がないわけではないんですが、田七人参の方は、どちらかというと、瘀血(おけつ)(東洋医学、漢方における概念のひとつ。血液やリンパ液など「血(けつ)」に分類される体液がなんらかの形で滞った状態)を散らして流すのが得意と思っていただければ」
「ああ、なるほど、そうか」
「もちろん、紅参も瘀血を流すことはするんですが、あえてどちらが何が得意な特徴があるかを考えて使い分けるとしたら、そうですね。荊防敗毒散と共同して働くのは、田七人参は相性がいいみたいなんですよ」
「田七人参、さきほど待ってる間に、そこの棚のを見てたんですけど、たいへん興味深いです。ただ、田七人参は旅先で気軽に買うには少々高価な気がします」
「あそこに置いてあるのは箱入りですけれど、バラでの小売もしますよ」
「バラで三日分だとおいくらになりますか」
「こちらも千五百円で」
「では、両方とも三日分ずつお願いします」
「はい。わかりました。じゃ、包んできますので、ちょっとお待ちくださいね」
男性薬剤師はそう言って調剤室に入っていく。
うーにゅうーにゅうーにゅうーにゅ、かこんかこんかこん、という分包機の音がして、まもなく、薬を持って出てこられる。
「では、こちらが荊防敗毒散です。そして、こちらはうちで扱ってる田七人参で、日水田七廣です」
「田七人参だけじゃなくて、シリマリンとウコンが配合されているのが、代謝排泄を促してくれるかんじが高まりますね」
「そうですね。ぜひ、そのイメージで飲んでください」
「あの、今すぐここで飲んでいってもいいですか」
「はい。では、お水を。少々お待ちください」
そう言って出してきてくださったのは、ちゃんと白湯なのがさすが漢方に詳しい薬局だ。
まずは荊防敗毒散を飲む。ややあまやかで香ばしいおいしさ。次は田七人参。香りと味に大地の力の頼もしさを感じる。
「両方ともおいしいです」
「そうですか。よかった。荊防敗毒散のほうは、人には勧めはしないんですが、飲み薬として飲むだけでなく、お湯で練ってから、瘀血を流したい患部に塗る方法もあるんですよ。皮膚でも粘膜でも、場合によっては打撲でも」
「そうなんですか。それはおもしろいですね。では、わたしもお湯に溶かして、歯茎に塗ってから、それを少しずつ飲み込むようにしてみます。ええと、三千円でいいんでしょうか」
「はい。荊防敗毒散三日分千五百円と田七人参三日分(十包)千五百円で、合計三千円お願いします」
代金の支払いを終える頃、夫から携帯電話に電話が入る。「今どこ?」と訊くから、「薬局でお薬もらってお金払ってるところ。もうすぐそっちに戻るから」と応える。
「相談にのってくださって、ありがとうございました。助かりました」とお礼を伝えてお店を出る。
てくてくと歩いて、スーパーの駐車場に戻る。まだ少し遠いけど、うちの車が見えたところで、夫の携帯に電話をかける。「もう車が見えるところまで来てるから」と伝えると「わかった」と言う。車に近寄ると、既にエンジンをかけてすぐに発進できる準備がされていて、わたしが助手席に乗ってシートベルトを締めると、すぐに車を出してくれる。
今日からは、夫に運転してもらうことにした。運転に使う集中力や各種エネルギーを歯肉の治癒に使うほうがいいな、と思って。もっと早くそうすればよかったが、これまでにそれに気がつかないのが、痛みで余裕がない人特有の症状だ。
旅の後日談になるが、先日日曜日の夜に見たテレビドラマ「仁」の中で、この「荊防敗毒散」の名前と姿が出てきた(他にも二つの名前の漢方薬と、特定の名前はないオリジナル調合の漢方薬も登場した)。そのときに、夫に「ほらほら、見て、これ、このまえ会津若松で買って飲んだ漢方薬、荊防敗毒散」と、わたしが会津若松の薬局で荊防敗毒散を入れてもらった薬袋に書いてある荊防敗毒散の文字を見せると、夫は「おおー! みそきち、すごいー!」と感心する。いやいや、すごいのはわたしじゃなくて荊防敗毒散なんだけど、ま、いいか。