月岡温泉のお湯と饅頭

五月六日、夕方。阿賀野川ライン舟下りを終えて宿泊予定の月岡温泉に向かう。以前月岡温泉に泊まったときには、旅の一泊目に泊まり、その後東北地方を目指した。今回は先に東北地方を巡ってから最終宿泊地として月岡温泉泊。
前回月岡温泉から東北地方を目指したときには、おそらく利用した道路が異なることもあるのだろうが、東北地方を目指すことに気持ちが集中し過ぎていてちっとも気づかなかったのだけど、今回東北地方巡りを終えてゆっくりと月岡温泉に向かうと、あいだの道中にいくつも面白そうな温泉があることに気づく。一軒宿のようなところもあれば、温泉街群のようになっているエリアもあり、「わあ、こんなところに、こんなに温泉があるなんて知らなかったねえ、今度はこのへんにも立ち寄りたいね」と話しながら通りすぎる。
月岡温泉で泊まる旅館は、以前にも一度利用したことのある浪花屋さん。同じ月岡温泉の他の大手の旅館と比べると、こじんまりとしているし、造りは古いけれど、清潔で快適。
前回は一階の奥の中庭沿いの部屋に泊まったが、今回は二階から中庭を眺められるお部屋。
荷物をおいて、手を洗ってうがいをして、ほうっとお茶を飲んで、お風呂に入る前に温泉まんじゅうを買いに出かける。
月岡温泉には、温泉まんじゅうを作って売る店が何軒かある。前回はそのうちの一軒だけ利用したのだが、今回は他のおまんじゅう屋さんとも食べ比べてみよう、ということで、みっつのおまんじゅう屋さんで、いろんな餡のおまんじゅうを合計十二個ほど購入。三軒目のお店では、おまけにどうぞ、と、イカスミまんじゅうを入れてくださる。イカスミまんじゅうは、中の餡は普通のこしあんで、周りの生地にイカスミが練りこんであって黒い。ここのお店では、かりんとう饅頭も売られていて、今回の旅行ではあちこちでかりんとう饅頭を見るなあ、流行しているのかなあ、と、また思う。
私達がイカスミまんじゅうをおまけで袋に入れてもらっているところに、別の若い男女のお客さんがお店に近づいてきて、「ここのイカスミまんじゅうおいしかったよね。またあれは買おう」と話しておられて、そんなにおいしいおまんじゅうをおまけしてもらえてよかったな、と、ラッキーな気分になる。
夕方まだ明るい時間帯に、おまんじゅうの袋をぶらさげて、温泉街を散歩する。
通り道にあるお菓子やさんにアスパラ祭りの旗がかかげてあったから、「あ、今年もアスパラ祭りやってるんだ」と気がつく。「アスパラ祭りのスタンプラリーシール台紙をください」とそのお店でお願いして一枚分けてもらう。そのお店はアスパラガスのバウムクーヘンを売ってるお店で、これもひとつお試しで購入。
アスパラ祭りのスタンプラリーに参加しているお店で夕ごはんを食べたいな、ということで、加盟店の営業状態を観察して歩いて帰る。こことこことここは今日も営業してそうだね、と確認して、では、このうちのどこかにしましょう、と相談しながら宿に戻る。
宿に戻ったらお風呂。夫はだいたいいつもそのままのかっこうで、私は宿の浴衣に着替えて浴場へ向かう。浴衣のほうが脱衣所で脱いだり着たりにかかる手間が少なくて便利なのに、夫はあまり浴衣を利用しない。
私が女湯に入ると年配の女性が二人入浴中。湯船の縁に腰掛けて、いろいろお話をされている。こんにちは、と声をかけて、身体を流してから湯船に入る。
あち、あち、あち、あち、と、思わず声を出した私に、おばちゃんが「ちょっと熱いやろ、水でうめてええよ」と言ってくださる。
「ありがとうございます。でも、ここのお湯は熱いのは最初だけで、実際入ってしばらくするとそうでもなくなるので、様子見てみます」
「あら、よく知ってるねえ、前にも来たことあるん?」
「はい。去年だったか一昨年だったかに、同じ時期に来て、ここのお湯が気に入って、また来ました」
「ここはお湯がいいやろ。小さな旅館やけど、大きな旅館よりもお湯がいいのがいいのよ」
「はい。ほんとうに。じっくりといいお湯ですよねえ」
「今日は泊まりなの?」
「はい」
「私らは日帰り入浴だけなんだけど、ここって、お泊りだったら、いくら?」
「私たちは素泊まりなので、えーと、一人四千五百円だったか五千円くらいだったか、それくらいやったと思います」
「あらあ。それなら手頃なお値段で気軽ねえ。でも今夜の夕ご飯はどうするの?」
「そのへんのどこかお店でいただこうと思ってます」
「ああ、それも気楽でええね。で、朝ごはんは?」
ここでもう一人のおばちゃんが「ほら、ここは、自炊もできるところやから、素泊まりの人は、自炊の台所で自分で作るのよ、そうでしょ?」と私に声をかけられる。
「いえ、自炊もできるんですけれど、明日の朝ごはんは、月岡温泉温泉まんじゅうを食べようと思って、さっき買ってきたんです」
「はあ? 温泉まんじゅうが朝ごはんって、それはないやろ。饅頭じゃあ朝ごはんにはならんやろ」
「いえいえ、なかなか、いろんなお店のいろんなあんこのおまんじゅうを試そうと思ったら、普通に朝ごはんを食べちゃうと、おまんじゅうを食べる余裕がなくなって、食べられなくなるんです。前回それで少し悔しかったので、今回は、おまんじゅうに集中できるように、と思って」
「ええーっ。おまんじゅうくらい、朝ごはん食べても昼ごはん食べても夕ごはん食べてもいつでも入るって。そんな、朝ごはんが温泉まんじゅうとか、おかしなことしたらいかんわ」
「はあ。そうでしょうか」
「まあ、まあ、そうやって、お饅頭食べるときには、他のもんを食べんようにしてるから、このおねえさんは、私らみたいに太ってないのよ。私らはご飯も食べてお饅頭も食べるからね、ほら、こういう体型になるわけよ」
「いや、でも、朝ごはんに饅頭はおかしくない?」
「いや、うちの子らでもお嫁さんらでもそんなんするときあるよ」
「そうなん? 今頃の若い人らはそれもふつうなんやろうか」
「人それぞれやろうけど、お饅頭食べたいときには、お饅頭食べるのもいいんかもよ。まあ、私はご飯はご飯でしっかり食べて、饅頭も饅頭でたべるけどね。じゃ、私らは先上がるから、おねえさんは、ゆっくりね」
「はい、ありがとうございます」
それからしばらく一人っきりで湯船の中で伏し浮きをして、浴槽の縁に腕と顎をのせて、ゆらゆらと金魚が泳ぐみたいに身体をお湯の中で左右に揺らしてみる。両脚もバタ足ほどには激しくなく上下に交互に動かす。次は上向きで大の字になるようにして、両手両足を湯船いっぱいに広げて伸びをする。それから、湯船に入ったときには、毎回することにしているのが高校生のときくらいからの習慣になっているお腹とふとももとおしりのマッサージ。ムニムニと、一ヶ所につき十もみから三十もみくらい揉む。
月岡温泉のお湯は、無色透明だけれども、うっすら青みがかって見える。お湯の表面に油膜がはっているようにも見える。硫黄のにおいがするけれど、それほど強烈ではない、か。
全身を湯船の中でゆっくりと撫でて、湯船の縁に腰掛ける。しばらくほうっと、窓の隙間から外を眺めて、もう一度ざぶんとつかる。
湯船からあがったら、両手で全身の水滴をぬぐう。浴室内でぴしっぴしっとお湯を切ってから、頭に巻いているタオルで身体を拭く。あらかたふいたら脱衣所に移動して、今度は脱衣所に置いておいたもう一枚の乾いたタオルで、少し丁寧に拭く。浴衣を羽織って部屋に戻る。
部屋にもどったら、濡れたタオルをタオル掛けにかける。持参の炭酸水を冷蔵庫で冷やしておいたものを冷蔵庫の上に備え付けてあるグラスに注ぐ。それを湯上りの水分補給としてぴちぴちしゅわしゅわごくごくと飲みくだす。
テーブルに出した化粧水を手のひらにのせて、顔にぴとぴとと染み込ませて、温泉に入ったあと独特のしっとりもちもちとした肌が手のひらに吸い付く感触を味わう。化粧水のあとは、クリームを手に取り、顔面をマッサージするみたいに塗る。気持ちいい。息がふうっと深くなる。
ぴったぴったと顔の皮膚を手のひらで覆ったり手を外したりしながら、縁側から中庭を眺める。緑色がちょうどいい。
広い和室の畳の上に仰向けになって天井を見る。天井の木目にひと通り視線を這わせると、部屋がぐっと自分仕様になるというか、自分とその部屋が馴染むような、居心地の良くなる感覚をおぼえる。これはどこの宿泊施設でもだいたいそうで、天井が木目でなければ、壁と天井の境目でも壁紙の模様でもいいから、ひと通りすみからすみまで視線をやると、そうなる。
さてさて。夕ごはんの前だけど、食前の温泉饅頭を食べましょうかね、と、どれを食べようかなと、種類を迷う。
夕ごはんはアスパラを使った料理が食べられるどこかに行くつもりだ。この地方のアスパラは太くて甘くておいしい。夕ごはんが楽しみだなあ。