アスパラ太巻きと猫の接客

五月六日夜。月岡温泉の宿の帳場に鍵を預けて「食事に出かけてきます」と声をかける。
夕ごはんは、アスパラの太巻きが食べたいな、と思ったから、温泉街のお寿司屋さんへ。こちらのお寿司屋さんは、アスパラ祭りのスタンプラリー加盟店としてスタンプシートに掲載されている。
アスパラ祭り加盟店は、アスパラ祭りののぼり旗を店頭に飾ることになっているのだろうけれど、加盟店のすべてがこののぼり旗を出しているわけではないようだ。
お寿司屋さんに入る。座敷席に座る。私達の他には、男女でアスパラ太巻きを食べているお客さんが一組と、女性一人か二人に男性六人くらいのグループが賑やかにお酒を飲んでいる。
お店の従業員さんは全部で三人。カウンターの中に寿司職人の男性が一人。厨房に職人さんの妻と思われる女性が一人。カウンターの外に職人さんの父と思われる年配の男性が一人。年配の男性はおそらく七十代か八十代か、九十代にはなられていないとお見受けする。
席につくと八十代男性がおしぼりと割り箸を運んで注文を取りに来てくださる。焼酎のお湯割りをふたつと、枝豆と、冷奴と、それから、と、アスパラ祭りのスタンプラリーの紙のそのお店のアスパラ太巻きの写真を指し示しつつ「このアスパラ太巻きをください」と注文する。
八十代男性はおそらく先代の大将で、現在は元大将としてフロアを担当しておられるのだろうな、というご様子。ご年配だから動きはけっして早くはないけれど、こうしてお店で働いていらっしゃるからこそお元気でいらっしゃるのだろう、ということが容易に想像できるような、そんな働きぶり。
元大将はカウンターの中の現大将に向かって「海鮮太巻きひとつ」とオーダーを入れてくださる。私は内心、へえ、アスパラ巻きは海鮮巻きなのか、ま、そうだよね、お寿司屋さんだし、海鮮巻きの中にアスパラが入るのかな、と勝手に思う。それから元大将は、グラスに焼酎とポットのお湯を注いで軽く攪拌したものをテーブルに持ってきてくださる。いただきます、と、手を合わせて、夫とともに焼酎をちびちび飲む。
そのとき、厨房から単品の何かをとなりのテーブルに持ってこられた女将さんが、となりのテーブルの人たちがアスパラ太巻きを食べているのを見て、アスパラ祭りのスタンプラリー用のシールを「こちらを貼ってくださいね」と手渡される。
女将さんが厨房に戻られるところを呼び止めて、「すみません。私達もアスパラ太巻き注文したので、アスパラシールください。一枚でいいです」とお願いする。
女将さんは「え? お客さん、アスパラ太巻きだったんですか?」と確認されるから、「はい、それをたのしみにこちらにきました」と応える。
女将さんは少し慌てて「大将、すみません、テーブル二番さん、海鮮太巻きじゃなくてアスパラ太巻きです。間にあうー?」と声をかけられる。大将はひとこと「はいよっ」と答えて作業を続けられる。
女将さんは私に「失礼しました。シールですね、今お持ちしますね」とシールが置いてある棚から取ってきてくださる。「ありがとうございます」と受け取って、にんまりと台紙に貼る。
女将さんは、スタンプラリーの紙の加盟店のアスパラ太巻きのところをマジックで黒くまるでかこってから、レジの上の壁に貼られる。きっと、アスパラ祭りとアスパラ太巻きに関する店内業務連絡が徹底していなくて、元大将はご存じなかったものと思われる。(以前別のお店で「アスパラ押し寿司」を食べたときにも、やはり店内連絡が徹底していないかんじのことがあった。)おそらくのちほど、女将さんからアスパラ祭りに関する説明をするつもりで、そのように準備されたのね、きっと、と思いながら、海鮮太巻きから無事にアスパラ太巻きにオーダーが訂正されたことに安心して、焼酎の続きを飲む。
すぐに女将さんが厨房からお盆を持って出てこられて、「お待たせしました。こちらがつきだしで、冷奴と、枝豆はもうこれで最後で少ししかないからお代は半額で」と言いながら、卓上に並べてくださる。
「ありがとうございます、いただきます」と声をかけてから、いろんなものを少しずつ食べながら、引き続き焼酎をちびりちびりと口にする。
しばらくするとアスパラ太巻き登場。アスパラガスと玉子とかんぴょうとたぶんマグロとかな、が、巻いてある。相変わらず、アスパラ祭りのアスパラは太い。少しだけお醤油をつけて食べると、アスパラガスのほんわりほっくりとした甘味と旨味が口から鼻に抜けておいしい。ああ、この時期にまた月岡温泉に来てよかった。
夫が「これだけじゃ、ちょっと足りないから、おまかせ握りを注文するけど、みそきちも少しなら食べられるかな」と訊くから、「うん。何個か分けて」と応える。
レジのところで待機しておられる元大将に「すみません、追加注文お願いします」と声をかける。元大将は「はいはい」とゆっくりと歩いてこられる。私は卓上のプラスチックケースに入れて立ててあるメニューを見せながら、こちらの、と指さして、おまかせ握りを、ひとつ、お願いします」と注文する。元大将は「えーと」と言ってから、そのプラケースのメニューをじいっと見て、おまかせ握りのところを指さして、「はい、こちらのおまかせ握りね、ひとつでいいんですかね」と確認してくださるから、「はい、ひとつ、お願いします」と応える。
元大将は、ゆっくりとした足取りでカウンターに近づいてから、大将に「二番さん、おまかせ握り、ひとつ」とオーダーを通す。大将は「おまかせ、ひとつねっ」と復唱される。
夫が「あえて、じいちゃん(元大将)に注文するのか」と私に言う。そうなのだ。他のお客さんたちは、生ビールの追加注文にしても、焼酎のおかわりにしても、その他の注文にしても、じいちゃんが待機しているにもかかわらず、カウンターの大将に「大将、生中、もひとつ」だとか、厨房に向かって「女将さん、焼酎お湯割りおかわり」と言うのだ。そして、女将さんがレジのところに出てこられて大きめの声で、じいちゃんに「何番さんに、なになにお願いします」と声をかけられる。
たしかに、そのほうが注文はスムーズかもしれない。じいちゃんは耳が少し遠いから、普通の声量ではオーダーが通りにくい。オーダーの聞き間違えもときどきはあるだろう。そして、テーブルからビールや焼酎を準備する場所に移動する足取りもゆるやかだ。できあがった品を運んで来られるときも同様にゆるやか。
けれども、私たちは、全然急いではいない。むしろゆっくりと旅路のひとときを味わっているところだから、大きい声を出すことが必要ならば大きな声を出せるし、何かを運んでくださるのが少しゆっくりめであってもゆっくりと待つことはまったく苦ではない。
おまかせ握りが出てきて、その中の夫がそれほど重要視していなさそうなものをいくつか私がいただく。ふたりともちょうどよくお腹がふくらむ。私が「これなら、宿に戻ってから、食後にお饅頭で味を完結させてやれそう」と言うと、夫は「ええっ。おれはもう無理。饅頭は明日にする」と言う。
ごちそうさまでした、と、手を合わせてから、じいちゃんに「ごちそうさまでした、お会計お願いします」と声をかける。じいちゃんは「はい、ありがとうございます」と、注文書に書いてある金額を電卓で合計確認してから、いくらいくらです、と言われて、夫がお札で支払い、じいちゃんがおつりをレジから出してくれる。
もう一度、じいちゃんにも大将にも女将さんにも「ごちそうさまでした。おいしかったです」と声をかけてから、お店を出る。夫が「明朗会計やった」と言いながら出てくる。
「どうやらくん、あのね、大忙しの大急ぎのときには急いでいるようにする必要があるけれど、今日みたいにゆっくりしているときは、お店の人がゆっくりならゆっくりで、耳が遠いなら遠いで、目が見えづらいなら見えづらいで、ゆっくり注文すればいいと思うん」
「あのじいちゃん、ああやって、お店で働いてるから、あれくらいのかんじでいられるんやろうなあ。あれが、店に立たずに、お客さんや大将やおかみさんとの仕事の会話なしで、お金も触らずにいたら、どんどんぼけるんやろうなあ」
「よくわからないんだけどね、なんとなく、老人福祉、っていうのは、老人福祉を支える、っていうのは、高齢者の人がこういうふうに働いているときには、その働きを働きとして引き出せるように、無理のない範囲でほんの少し協力すること、大きな声で注文するとか、ゆっくりはっきり話すとか、そういうちょっとの手間をかけることを避けずにちゃんと普通に手間をかけることも、老人福祉を支える社会の一員としてのひとつの形なんじゃないかなあ、っていう気がする」
「うん。たぶん、そういうことなんやろうな」
お寿司屋さんから宿まで、のんびりと散歩風に歩いて帰る。
ただいまかえりました、と声をかけて、鍵をもらって部屋に戻る。部屋の入口の鍵は木でできた格子状の開き戸についていて、そこを開けて入ったところでスリッパをぬぐ。中扉になっている襖を開けるとそこが和室。部屋を正面に見た状態でスリッパをぬぐところから右側に入ったところに洗面台があり、その奥にトイレがある。
夫は一階の灰皿があるところで、新聞を読みながらタバコを吸う。私は浴衣に着替えてから、今度はどのお饅頭にしようかなあ、と、部屋のテーブルの上に並んだ温泉饅頭を眺めながら迷う。
もう少しお腹がすいたら、あとでもう一回お風呂に入ろう、と思う。
朝はお饅頭に集中して勝負したい私なのに、夜は食前にも食後にもお饅頭が食べられるのは、食事の量を自分で調整して注文するからというのもありはするけれど、それでもこれだけ食べられるのは、きっと旅の高揚感。
ここの宿には宿の人以外に、宿の猫がいる。首につけた鈴がときどきチリリチリリと音を鳴らす。姿が見えるときもあれば、どこにいるのかわからないときもある。
トイレに行こうとして部屋を出たら、格子戸の外に猫が座っていて、「まあまあ、そんなところに座って、お仕事ご苦労さまですね」と声をかける。猫はにゃあとも言わずに、すくりと立って格子戸に寄ってくる。「すんません、私、これからトイレなんで、またあとで」と言ってから、トイレに入っていると、夫が帰ってきた気配がする。部屋の外で「うわっ、猫がおる」という声がする。私がトイレから出て手を洗っていると、夫が小動物に遭遇した時にいつもそうする「ち、ち、ち、ち、ち」というような「てゅ、てゅ、てゅ、てゅ、てゅ」というような舌と上顎を使った音声を出しながら猫に手を差し延べている。私が「猫、接客してくれてるんかな。でも、部屋には入れないようにしましょう」と言うと、夫は「当然」と言いながら、猫に向かって「お手」と言ってみたりする。私も隣にしゃがんで、猫の頭頂部をふにふにとなでる。猫はにぃと鳴くでもなく、目を細めてじっとしている。
「この猫、私達が前にここに来たときもいたのかな」
「いた、ような、気がする。でも、前は、もっと小さかったかもしれん」
「じゃあ、子猫だったのが大きくなったんかな。同一人物かどうかまではわからんね」
「ああ、わからんなあ。でも、猫はいたような気がする」
「猫とは別だけど、ここの宿の壁に飾ってある写真が前よりも増えてたね。それに写真が前よりも上手になっとってんような気がする。宿の人の趣味が写真なんじゃろうか」
「ああ、写真、かけてあったなあ。そういえば上手だったかも」
「うん。あとでお風呂に行く時、そう思って見てみて」
「おぼえてたら」
月岡温泉の夜は、暑くもなく、寒くもなく、快適。