立山散歩その五

ケーブルカーとバスを乗り継いで標高約2500mまで来る間に、気圧がぎゅうぎゅうと変化する。私の耳には自動耳抜き機能が搭載されているので、気圧の変化で耳がー、ということはほぼない。自動耳抜き機能以外にも、もちろん手動というか意識して自分で耳抜きしましょ、と思ってそうすることもできる。
しかし、耳には問題がなくても、やはり人体にとって、標高2500m地点というのは、生存最適な場所というわけではないのだろうと思う。
標高が高くなるにつれて、順調に頭が痛くなり、終点で降りて、立山の景色を眺めつつ山水のあるところからみくりが池温泉まで歩くその行程が、たいへんに息苦しい。呼吸をしても二酸化炭素その他呼気として出てゆくべきものが十分に出て行かず、空気を吸っても吸っても吸っても満足な量の酸素が身体に満ちない。
道の途中で、なんとなく人だかりがしているところがある。私が「あー、鳥だー」と言うと、夫が「こ、これはっ。こんな間近で雷鳥が見られるなんて。ちょっと、雷鳥だぞ、雷鳥。ほら。みそきちと雷鳥の写真を撮るから、そこに立って」と私を促す。
はいはい、と、遊歩道の柵の手前で、雷鳥が近い位置になる所で、雷鳥をまじまじと見る。夫が「ほらほら、撮るよ」と言うから、「うん、お願いします」とそのまま、まじまじと雷鳥を眺める私の後ろ姿と雷鳥の前向きな姿を同時に撮影してもらう。
岩の上に立つ雷鳥は一羽だけかと思ったら、その奥の少し低い位置の岩に、もう四羽いる。約半数はなんとなく体長のサイズが小さいから、たぶんヒナ。
遊歩道の歩き始めのあたりには、「雷鳥からのお願い」という看板が何枚か立ててある。内容は、雷鳥にむやみに食べ物を与えるとよからぬ病原菌を与えることにもなるからやめてね、だとか、ゴミはちゃんと持ち帰ってね、だとか、たいへんにまっとうで道徳的な内容。
複数の雷鳥の姿をまじまじと見て満足して、私が「鳥、じっと写真のモデルになって、立山営業、頑張ってたね」と言うと、夫が「鳥じゃない。雷鳥。置き物かと思うくらいじっとしてたなあ」と言う。
みくりが池温泉は、日帰り温泉での入浴もできるし、宿泊することもできるし、喫茶店の日帰り利用も可能。
お店の入り口に真っ黒な温泉卵の見本が置いてある。私が「わあ。黒い温泉卵だー」と感嘆の声を上げる。近くの地獄谷から硫黄ガスのにおいが立ち上ってくる。卵の殻が黒くなるのは、きっと硫黄の力なのね、と思う。夫が「食べたことあるじゃん」と言うから、そうだったっけなあ、と思いながら喫茶店に入る。
夫はクリームぜんざいを注文する。ガラスの器の底にあんこが入っていてその上にアイスクリームとその他いろいろがのせてある。
私は冷たい甘酒。冷たいといっても、加熱していない常温の甘酒に氷が二個浮かべてあるものなので、キンキンに冷たいわけではない。
おいしいねえ、おいしいなあ、と、話しながら食べながら飲みながら、夫がこれまで四度(今回で五度目)立山に行った時に、いつ、お土産にあの黒い温泉卵を買ってきてくれたんだろう、私はいつあれを食べたんだろう、と記憶を手繰り寄せる。
店内の他のテーブルでは、宿泊中のお客さんが、おやつのビールをたのしみつつ、黒い温泉卵をむいて食べている。温泉卵だけど、ドロリとはしていなくて、ゆでたまご風。
夫に「あのね、私、どうしても、ここの温泉卵を食べた記憶が思い出せないんだけど、どうやらくん、いつ、買ってきてくれたかおぼえてる?」と訊く。
夫は「え? ここじゃないよ。黒い温泉卵を買って食べたのは、後生掛温泉に行ったときじゃん」と言う。
後生掛温泉って、秋田に旅行したときだよね」
「うん、そう」
「あれは、もう、六年か七年かくらい前のことじゃん。あのときの温泉卵を引き合いに出して、食べたことあるじゃん、て、話として成り立つん?」
「えー、あそこの温泉卵も黒かったじゃろ。黒い温泉卵って、あそことここくらいじゃないかなあ」
「それはそうかもしれんけど、後生掛の温泉卵は後生掛の温泉卵。立山の温泉卵は立山の温泉卵。後生掛温泉で温泉卵を食べたことがあるから、立山では温泉卵を食べなくてもいい、食べる必要はない、後生掛と同じ色だから、というのは、なんかへんー」
「はいはい。みそきち、たまご、好きじゃけんじゃろ。食べたいなら食べたいって言ったらいいじゃん。一個ずつ自分お土産に買って帰ろう」
「うん」
宿泊客の人たちが、テーブルの食器をカウンターに戻しておられるから、ここの喫茶店はセルフなのかな、と言いながら、甘酒のガラスのコップと、クリームぜんざいのガラスの器をカウンターに戻す。カウンターがレジにもなっているから、そこで会計。黒いゆで卵を二個購入。お店の方が卵をふたつ紙袋に入れてくださり「焼き塩も入れておきますね」と袋の口をふにゅりと折る。
夫が「みそきちは地獄谷にはおりないほうがいいと思う」と言う。私は「もともとあの勾配を降りたり登ったりする気はない。しかも硫黄がぶんぶん出てるし。危険レベルでガスが出てるから近寄るなってアナウンスしてるし。さあ、帰ろう帰ろう」と言う。
「ええっ。もう帰るん? 来たばっかりなのに」
「だってね、私、順調に頭が痛いし息が苦しいけん、早く下界に降りたい」
「軽い高山病状態なんかな。たしかにおれも、ここに来て山に登って三千メートル超えたあたりで、もしかして、これってこれが頭痛か? これがひどくなると高山病なのか? と思った」
「どうやらくんがいちばん最初に一人で観光でここに来た時に、地獄谷に行ったって言ってたよね」
「うん。あの時には、今みたいには、何にもトレーニングしてなくて、もう、谷の底まで降りて階段を登ってくるだけで、ぜーはーぜーはーで這々の体だった」
「今だったら、きっとずっとラクだね」
「そりゃあ、今なら楽勝。だけど、山登りの中でも、どうもおれは、ひたすら高いところをおさえることにこだわるタイプみたいで、高山植物を愛でようとか、斜面でゆっくり景色を写真におさめようとか、そういう方向ではないらしい。山に登る人でも、人それぞれ、方向性やタイプがある。で、今となっては、谷底は、どうでもいい」
「谷底って、高くないもんね」
「高くない、というか、低いやろ」
それからまた、来た道を引き返して歩く。さっきの雷鳥はあいかわらず、たぶん家族全員そのまま同じ所でじっとして立山営業に励んでいる。そばを通る人間は、ほぼ必ず、その雷鳥たちの姿を撮影する。
山水が湧くところで水を汲んで帰りたいから、持参のポットのお茶(なたまめ茶とナツシロギクのブレンド茶)を飲み干す。落下する湧き水でポットと蓋をゆすいで、ポットに水を注ぐ。ハンドタオルで外側を拭いて、蓋をして、リュックのサイドポケットに入れる。
立山の風景を見納めて、建物の中に戻る。うわーあったかーい。
夫がお土産物屋さんを見物したいと言う。じゃあ、私はその間にトイレに行ってくるね。この階のトイレは今清掃中で使えないから、下の階で行くね。トイレから出てきたら、ここのお土産物屋さんで集合ね、と言って別れる。
トイレでは、それまで着ていた冬の装束を外してリュックに片付ける。排尿したら、ちょっとは頭痛マシになるかなあ、と思ったけれど、変わらず。
トイレから出て、上の階のお土産物屋さんのエリアに戻る。夫の姿が見えない。あれ、あれれ、と思いながら、下の階を見てみようと階段に行く。すると夫が郵便局前にいる。おーい、おーい、と呼ぶと、夫が「もうどこに行ったのかと思ったじゃないか。あまりに遅いからはぐれたのかと、捜索願を出そうかと思ったじゃないか」と言う。
郵便局のカウンターを指さして「ここから、どうやらくん、立山の葉書を送ってきてくれたんだね」と言う。「みそきちも書いて出したら?」と夫が言うけど、「ううん。今日はいい。バスに乗って、早く標高の低いところに移動したい」と所望する。
祝日で人が多いからなのか、臨時バスが運行されていて、待ち時間なくすぐに出発できるようす。列に並んで待っているときに、夫が「あ、そういえば、この前立山に来た時には、あそこの位置にケロリン洗面器の屋台が出てたのに、今日はない」と言う。
ケロリン洗面器が好きで、ロフトで一個買ったのだけど、それが関東版の大きなタイプで、私の手で取り扱うには少し大きくて重いから、できれば関西版の小サイズがほしいなあと願う私が、夫に「立山に売ってるなら買ってきてー」と頼んだことがある。夫は洗面器を持ち歩くのが本意でないからなのか、我が家にそんなにいくつもケロリン洗面器がある必要はないだろう、という思いがあるからなのか、「うーん」と言ってそれっきりだったのだけれども、今回はケロリン洗面器を欲しい本人がここにいることだし、自分で持って帰ることができる。
夫は「みそきち、そこに並んでて。おれが見てくるから」と、そのフロアのお土産物の常設店舗に入ってゆく。さきほど上の階で夫が見物したお店とは別のお店。一見、私のためにケロリン洗面器を探しに行ってくれたようではあるが、そしてそれはそれでその意味合いももちろんあるのだが、こういう場合の夫は、列に並んで待つのが面倒くさくて気分転換にお店を見物したい欲に動かされている。
しばらくして、係の人の「それでは改札を始めます」のお知らせがあり、列が動き始めたところに、夫が「ケロヨン、なかった」と言いながら戻ってくる。
「どうやらくん、ケロヨンじゃないよ、ケロリンだよ」
「あ、そうか。ケロヨンはカエルか」
バスに乗る。補助席も使用して満席。バスが出発する。ああ下界が恋しい。