立山散歩その六

下山するバスは満席で、でも寒いから窓は閉めきりで、換気の鬼の私にとっては標高の高さも相まって全体的に息苦しい。しかし、かといって、車内で深呼吸なり通常の呼吸なりをすると、普段接することのない人たちの人体の各自の独自のにおいが、その濃い意味や薄い意味も含めて、さらになにかと息苦しい。そのため自然と呼吸が浅くなるようで、呼吸が浅いと頭痛が悪化し、頭痛で辛いとさらに呼吸が浅くなるという見事なまでの悪循環のループが美しく形成される。
登りの時にはガスで見えなかった滝の見物ポイントで、またバスの運転手さんが減速してくださる。
バスに乗って標高が下がれば下がるほど、頭部の圧迫感が軽くなる。が、一度痛くなったものが突然何事もなかったように痛みがなくなるわけではない。
バスがケーブルカー乗り場に着いたら、ケーブルカーに乗り換え。個人客の列もいっぱいだけど、団体客の列もいっぱい。団体のお客さんはおそらく台湾からのお客さんなかんじ。
ケーブルカーに乗り込む。夫から話に聞いていたとおりの、都会の満員通勤電車状態のぎゅうぎゅう詰め。ケーブルカーはすきま風が多いからバスの中よりは空気が新鮮だろうか。しかし、ぎゅうぎゅう満員の状態だから呼吸する生き物(人間)の数も多いということで、空気吸い放題感はそうでもない。
それでも、ケーブルカーがどんどん勾配をくだるにつれて、頭部の圧迫感がさらに軽くなってゆく。が、やはり一度痛くなったものは、しばらくそのまま痛い。
ケーブルカーを降りて、駅から駐車場まで歩く。夫が運転してくれるから、私は助手席でじっとする。夫が「みそきち、立山にやられる、の巻だったなあ」と言う。そして「座席倒して寝たら?」と言うから、「うん、そうする」とこたえて横になる。
途中、コンビニと道の駅のような建物があるところで駐車する。夫はコンビニで野菜ジュースを買って飲んでから、ヤギに餌をやってくると言う。私は「はい、いってらっしゃい」とそのまま引き続き横になったまま。
夫が戻ってきて「ヤギのお客さんいっぱいいた?」と訊くと、「いいや、少なかった」と言う。野菜ジュースを飲んだら、お昼のおにぎりでひたすらお米だった身体が少しラクになったとも。
帰り道をどんどん運転してもらう。夫が何度か「夕ごはん、何にする?」と訊いてくるけど、お昼の巨大おにぎりに満たされすぎていて、欲しい物が思い浮かばない。しいていうなら「野菜」だろうか。
ETC高速道路祝日半額で戻ってきてから、自宅の近所の食堂で食事して帰ることにする。そこでは、おかず各種を自分で好きなものを選んでお盆にのせて、ごはんは大中小の好きなサイズを選ぶスタイル。ごはんは大中小とも値段は同額。この日は私はもうお米は全く欲しくなかったから、ごはんはなしでおかずのみにする。ひじきの煮物と、青菜と油揚げの炒め煮と、ポテトサラダと、切り干し大根と、鳥とゴボウの煮物、それぞれ小鉢に入ったものを。夫はひじきの煮物と他にいくつかのおかずに、ごはんの小を注文して、ごはんをついでくださる人に「あ、もう、それくらいで。もうちょっと減らしてください」と頼んでから、豚汁を注文したけど、ちょうど豚汁が品切れ中で、代わりにみそ汁にしていた。
会計を済ませたら、自分でお盆を座席に運んで座って食べる。食べ終わったら、食べ終えた食器を返却口に戻す。ごちそうさまでした、おいしかったです、と両手を合わせあて挨拶をして店を出る。
帰宅する。無事に帰ってきてよかったね、と言うと、夫が「みそきちは高山病で頭痛いよう息苦しいようになったけど、まあ無事なうちということで」と言う。
立山散歩をしてみてあらためて思ったのは、やはり、山には向き不向きがある、ということ。私は山向きではなく平地向きだということ。夫はまた立山に何度か登りに行くかもしれないけれど、私の立山行きに関しては、夫も私も今回でもう十二分に満足したはず。
頭が痛いままシャワーを浴びてお布団に入って寝る。翌日には頭痛はスッキリ回復。
立山散歩、お疲れ様でした。