山と温泉その四

午前十一時になるのを待ってお風呂に入る。お風呂から上がったら、部屋でアーモンド豆乳(豆乳アーモンド味)をグビリグビリと飲む。おいしい。
部屋に戻ると、私達の部屋の隣の部屋とその隣りの部屋に泊まるお仕事三人組のおにいさんたちがお昼休みなのか部屋に戻っておられる様子。
もしかするとおにいさんたちのうちの誰かが夫の黒い運動靴を履き間違えてた可能性もあるかもっ、と思い、玄関の下駄箱を見に行く。しかしおにいさんたちの靴はどれもなんというかスタイリッシュでかっこよくて夫の靴とは全然似ていない。
おにいさんたちはしばらくすると、また宿から仕事の車に乗って出かけていく。
私は少しお腹がすいて、地元の道の駅で買ったくるみ餅や家から持参したラスクを食べる。食堂でもりそばを食べてもよいのだけど、昨夜夕食でそばをいただいているので、そば欲がそれほどでない。
夫が山頂に登っておりてくるまでに六時間から七時間かかる予定と聞いている。帰ってくるのは一時頃かな二時頃かな。帰ってきたら宿のお風呂とは別の温泉に入りに行ってもいいしねと話をしていたから、出かけるならそのつもりでいるから帰って来る前に電話してね、と頼んである。
午後二時前に夫から携帯電話に連絡が入る。「あと十分くらいで着く」と言う。登山口から宿までは車で片道四十分くらいと聞いていたのに、十分だなんてずいぶん近いな、と思うけれど、はい気をつけてね、と伝える。
部屋に戻ってきた夫が「靴が見つかった」と言う。
「おかえり。わあ、よかったね。どこにあったん?」
「昨日の日帰り温泉に来たおっちゃんというかじいちゃんが靴を間違えてたことに気づいて午前中に宿に電話して来てはったんだって。で、おれが帰ってきたところにちょうどそのおっちゃんが靴を返しにきてくれて、お詫びにって、これ、くれた」
「わ、なに、それ。山うどのお漬物と、キノコだねえ。このキノコはどうしておいたらいいんだろう、チェックアウトまで冷蔵庫保存してもらったほうがいいのかな」
「そうかもなあ。宿の人に訊いて頼んでみる」
「で、靴は、やっぱり下の段のあの黒い運動靴だった?」
「うん。あの靴の人だった」
「下駄箱の棚、一段しか違わなかったし、年配の人だと間違っても仕方ないかもねえ。私たちも自分の靴を置く場所を、こういう共用で使うオープンタイプの下駄箱のときには、もっと他の人の手が伸びにくいところにするとか、自分の靴になにか入れて目印をしておくとか、靴を洗濯ばさみで留めておくとか、何か対策をしたほうがいいかも」
「そうやなあ。たしかにあのおじいさんなら、間違うこともあるやろう、仕方ないかあ、ってかんじだったもんなあ」
「そうなんやあ。そんなにおじいさんやったん?」
「うん、たぶん、八十は過ぎてるかどうか、それくらい」
「わあ、それで、自分が靴を間違ったことに気がついたなんて、それは立派なことだねえ」
「夜の暗い時だと見えにくくてわかりにくかったんやろうけど、明るい所で見たら明らかに違うのがわかったんちゃうかな。とりあえず厨房でキノコを預かってもらってくる。それからお風呂にも入ってくる」
「そういえば、電話くれてから十分で帰る、って言ってたけど、登山口そんなに近かったん?」
「いいや、登山口はここから四十分かくらいかかるけど、携帯電話の電波が入らなくて、電波の入るところまで戻ってきてから電話したら、もう宿の近くだった」
「そっか、さすがソフトバンクやね」
「今日は天気が良くて気持ちがよかったー。三百六十度ぐるり見渡せて、日本海まできれいに見えた」
「それはよかったね」
それにしても、靴を履き間違えたおじいさんがくださったあのキノコは、なんというキノコでどうやって食べるものなのだろう。宿の人に教えてもらったほうがいいと思うから、帰るまでに訊くことにしよう、そうしよう。