山と温泉その九

帰り道の旅記録を書く前に、チェックアウトの前の話。
朝食を終えてから、チェックアウトの時間までを、ゆっくりと荷造りをしながら過ごす。
隣とそのまた隣の部屋に泊まっていたお仕事おにいさん三人組は続々と仕事荷物を運び出している。
その荷物の中で私の目にとまったのは湯沸かしポット。
ここの宿の部屋にあるポットは湯沸しタイプではなく、熱湯を注いで保温しておくタイプ。このタイプのポットのお湯は、当然だけど時間が経つとぬるくなる。部屋でアツアツのお湯が欲しい時、湯沸かしポットがあればすぐに熱いお湯が使えるけれど、別にずっと電気で保温しておく必要はない。できれば電気ケトルか何かでその都度必要な量のお湯を沸騰させて使うのが好みだ。
旅先に加湿器がないときには持参するが、電気ケトルまで持参するのは、いくら車での旅行とはいえ、自分でもそこまでしなくてもと思う。
その代わりに、携帯伝熱湯沸し器を旅行かばんに入れている。必要な時には、保温ポットでぬるくなったお湯を必要なだけ湯のみか急須に入れて、その伝熱湯沸かし器を中にぽちゃんとつけて沸騰させる。
この電熱湯沸し器、高電圧の外国であれば、一瞬でお湯がわくスグレモノなのだけど、私が持っているのは日本や台湾の電圧用だから、湯のみ一杯のお湯を沸かすのに数分の時間がかかる。ポットの冷めたお湯から沸かし始めるとやや早いけれどそれでも数分、水から沸かし始めるともう少し長く時間がかかる。
それでも、わざわざ宿の人に新しくお湯を沸かしなおしてもらう手間をかけなくていいのが気楽で、アツアツのお湯が手に入るのが嬉しくて、この伝熱湯沸かし器にはけっこうお世話になっている。
だから今回もその伝熱湯沸かし器を活用したけど、おにいさんたちは湯沸かしポットを使っていたのかあ、便利だっただろうなあ、というか、必要だったんだろうなあ。
私達がまだ部屋にいるときに、おにいさんたちはチェックアウトする。宿の人に「長い間お世話になりました。荷物の発送よろしくお願いします」と挨拶している声が聞こえる。
私達も部屋を出る準備を少しずつする。カメムシ対策で目張りした網戸のガムテープを外さなくては。私がまだ自分の荷物のパッキングをしている時に夫に網戸のガムテープをはがしてほしいと頼む。いっきにはがすときれいに剥がれないから、ゆっくりはがしてね、と頼むが、夫は「わかった」と言いながらガムテープをいっきにはがす。そして剥がし残しを爪の先でカリカリと剥がそうとしている。
荷造りを終えた私が「ゆっくり剥がすのはこれくらいゆっくり剥がすんよ」と言いながら、別の目張りガムテープをじりりじりりと一秒あたり一ミリか二ミリ程度ずつはがす。そうやってきれいにはがれたガムテープを十五センチくらいちぎって、夫がカリカリと剥がしている剥がし残しの上に貼る。それをしっかりと抑えつけてから、あらためてそのテープをゆっくりと剥がす。すると夫がカリカリと剥がそうとしていたガムテープの残りがきれいにはがれる。「ゆっくりね、ゆっくりね」と夫に伝えて、私は残りの部分のガムテープをゆっくりと剥がす。
カメムシ対策大変だったけど、目張りしたおかげで新たな侵入がなくてよかったね、と話す。
部屋から荷物を持って部屋を出る。おにいさんたちがいた部屋の掃除をしているおかみさんに「お世話になりました、ありがとうございました」と挨拶をして階段を降りる。
階段を降りたところ玄関に面したところで、宿の人がそばをうっている。夫が「お世話になりました。チェックアウトお願いします」と言うと、宿の人は冷蔵庫からキノコとウドの漬物を出して、宿泊費の会計をしてくださる。
その間に私は荷物を車に積み込む。会計を終えた夫が、きのこの入った袋を持って車に乗る。夫に「キノコの名前、なんていう名前か教えてもらった?」と訊くと、夫は「うん」と言う。
「なんていう名前だったん?」
「教えてもらったけど忘れた」
「えええ。それじゃあ、食べ方とかわからんじゃん」
「ネットで検索したらわかるじゃろ」
「そのネットで検索するのによ、キノコの名前が要るじゃん」
「画像見てわからんかなあ」
「キノコの画像を見て、なんのキノコか見分けるのは無理よー。フランスの薬剤師ならキノコの見分けの訓練受けてるからわかるかもしれんけど、私はそういう訓練は受けてないけん」
「そうかあ。そうだよなあ。見分けが難しいからこそ、きのこ中毒の事故が起こるんだもんなあ。あ、でも、これと同じキノコが道の駅で売ってあったような気がするけん、道の駅で見たらいいと思う」
「そんなん、今日も道の駅に置いてあるかどうかわからんし、私たち今日は道の駅に寄る用事はないし、もういっぺん宿の人に訊いて来てください。聞いたことを忘れないように、ここ(私の手帳)に聞いた名前を書いてきてください」
「えー、ちゃんと聞いたのにー」
「聞いても覚えてないと情報として使えんじゃん」
夫はしぶしぶ車を降りてもう一度宿に入り、そばを打っているお店の人に「すみません」と話しかける。
夫が車に戻ってきて、手帳に文字を書いて私に渡す。
「なんて書いてあるん? こうむりたけ?」
「ちがう。コウムケダケ」
「キノコの名前、コウムケダケって言うんだー」
「でも宿の人もあんまりよくわからんみたいで、このへんではたしかコウムケダケと呼んでいるような気がするんですけど、ごめんなさい、よくわかりませんっ、ていうかんじじゃった」
「そうなんじゃ。わかった、ありがとう。帰ったらコウムケダケで調べてみる。っていうか、どうやらくんが靴履き間違いのおじいちゃんからもらったキノコなんじゃけん、どうやらくんが調べてお世話するのがいいと思う」
帰宅後、コウムケダケで検索をかけたら「コウムケダケ(ムキタケ)」という文字にたどり着き、その後はムキタケとしていろいろと調べることになった。洗い方や下処理の仕方やおいしい料理の仕方など、調べなければ知らないことばかりだったから、ちゃんと名前を知ってから調べることができてよかった。
チェックアウト後の旅記録がまだ続く。