山と温泉その十

宿をチェックアウトして、今回の旅の第一目的である小谷温泉熱泉荘へ日帰り入浴利用に行く。宿から熱泉荘までは、車で二十分程度の距離だろうか。トンネル手前の道を山の奥に向かう中腹に熱泉荘は建つ。
車を停めて、タオルを持って、熱泉荘の玄関を開ける。日帰り温泉希望の旨を申し出る。「今お掃除したばかりでまだお湯が十分にたまってないかも」と言われるが、「お湯がたまるのを待ちながら湯船に浸からせてもらってもいいですか」とお願いする。
女湯の方はもう十分にお湯が溜まっていて、なんの問題もなく入浴。夫が入った男湯も「十分お湯たまってた」と夫は言う。
これまでいろんな温泉宿を利用してきて、正規の宿泊料金を払っているにも関わらず、「今日はお客さんが少ないので、お湯をためる量を少なくしています。ちょっと浅いかと思いますので、身体を横にするかんじで入ってもらえたら」だとか、「今日はお客さんが少ないので、大浴場の大きな湯船と露天風呂にはお湯を入れておりません。一番小さな湯船にだけお湯を入れていますので、そこでご入浴ください」だとか、「今日はお客さん少ないので、大浴場は開けていません。家族風呂(宿の人も入る普通の家庭用お風呂の作り)のお湯も温泉ですから、そこに入ってくださってもいいですし、外湯の入浴券もさしあげますので、外湯に行ってくださっても」などと案内されるケースが何度かあった。
宿としても経費の事情もあるだろうし、いろいろたいへんなんだろうな、と思いつつ、案内に応じる。そういう事情のいくつかの記憶があるから、今回の「まだお湯が溜まっていないかも」のお湯の量は、十分にお湯が溜まっている量に感じられる。
熱泉荘のお湯はいい。私の体にとって(夫もそうだと言うのだけれど)、これまで入ったどの温泉よりも、お湯の波長のようなものが、私たちの身体にちょうどよくて、いっさいの湯あたりがなく、入れば入るほど、なんだろうなあ、こう清らかに研ぎ澄まされるようなかんじとでもいうのだろうか、いったんお湯を出てしばらくしても、また、すぐに、そのお湯に入りたくてたまらなくなる。そして入れば入るほど、自分の身体とこころが整い喜ぶ。
湯船に浸っていると、浴室のはしっこに生きたカメムシと死んだカメムシを見つける。ケロリン洗面器関東版で湯船のお湯をすくってカメムシごと流せるところのカメムシは外に繋がる排水口に流す。その方法ではうまく外に出せない場所のカメムシはそのままそこに放置する。
二泊した宿のカメムシもただことではなかったが、同じ小谷村にある熱泉荘もカメムシとの攻防がたいへんなのかなあ、と思う。
今回は日帰り入浴だから、一回の入浴で存分に満足するようにゆうるりと湯浴みして、脱衣所に出る。脱衣所の棚の上にガムテープが一巻き置いてある。二泊した宿の廊下にも置いてあったけれど、ここにも置いてあるということは、これは荷物梱包用ではなく、やはりカメムシ退治用だろうか。カメムシをガムテープでくっつけてそのままゴミ箱に捨てるのだろうか。
泊まっていた宿にいたときに私がそう予想したら、夫が「そんなことしたらゴミ箱からカメムシのにおいがしてくさいじゃん」と反論したから、そうだよなあ、くさいよねえ、と思ったのだけど、本当のところはどうなんだろう。
以前熊本に住んでいた頃、室内にムカデが出没することがよくあり、そのときにはガムテープでムカデをおさえて、ガムテープごと新聞紙で包んで燃やせるごみに捨てていたのだが、ムカデはそのようにしてもくさいにおいを発するわけではないから、その方法で問題なかったが、カメムシはつぶせばもちろん、つぶさなくても、彼らは刺激に対して自分の意志で自在ににおいを出すことができるのだとしたら、取り扱いには注意したい。
お風呂から上がると、夫が先に上がって椅子に座っている。私も椅子に腰掛けて、持ってきた化粧水とクリームを顔につける。これからまだ日差しの中を車で移動するから、日焼け止めのパウダーもはたく。
湯上りに夫とひとしきりお湯を大絶賛して双方満足してから、熱泉荘をあとにする。
帰り道の途中で、お昼ごはんにたら汁を食べる予定。たのしみ、たのしみ。