プリティ・ウーマン

昨夜「サヨナライツカ」に続いて、ケーブルテレビでひとりで見た映画。
ジュリア・ロバーツさん演じる女性ビビアン(ヴィヴィアンかな)の自尊心の輪郭が次第に明確になっていくさまがよく描かれている。
彼女が彼女の人生の各種事情により現在売春婦として生計を立てていることで彼女の尊厳を正当に取り扱わず見下す態度を取る人もいる。
彼女の生計の糧が売春であることを知るのは知っていてそれはそれとして彼女を尊厳ある存在として応援の気持ちとともに接する人もいる。
ドラマの後半で主人公男性であるリチャード・ギアさんはしきりに「君はどうしたいのか」とジュリア・ロバーツさんに問う。彼女は「ハッピーエンドを求めている」という意味のことを言う。
映画自体はまあハッピーエンドで終わるのだが、映画の終盤で彼女が「高校で勉強しなおして卒業する。私、成績はよかったの」とルームメイトに話していたあの予定は、ハッピーエンドの後ちゃんと実行されただろうかとそこが気になる。
リチャード・ギアさんが「君はどうしたいのか」と彼女に訊くたびに私の中の誰かが「学校行って勉強したいと言え、アパートと車を与えようという人は学費も出してくれるから、奨学金だと思っていいから」としつこく推奨していたのだが、彼女はまだ具体的にそこまでは思ってくれなかった。
人が自分のそして他人の尊厳を正当に取り扱う場にはそこに堂々としたエネルギーが流れ、自分や他人の尊厳を軽んじるところには残念なエネルギーが集うものであるのだなあ、やはり、というのもよく見えるように作ってある映画であったのだなあ。