楽譜屋さんと宝くじ

4月28日の午後、磐越道会津へと走る。夫が運転してくれるから私は助手席で会津磐梯山の登場に備える。車中では一枚の清盛MDを延々と繰り返し聴く。夫に「わたしね、宝くじを買う習慣はないんだけど、もし宝くじを買ってそしてあたったらしたいことがあってね、でもそれはけっこうお金がかかることだからあてるならそれなりの金額をあてたいん」と話す。夫は「なになに、なにがしたいん?」とうまく合いの手を入れてくれる。
「あのね、この清盛音楽の全部でなくていいの、テーマ曲と、決意と、タルカスをね、東京フィルの人たちに演奏してもらって生で聴いてね」
「東京フィル?」
「東京フィルハーモニー。オーケストラの楽団」
「清盛は大河だからNHKのオーケストラじゃないの?」
「えーとね、テーマ曲はNHK交響楽団って決まっているから放映のぶんはNHK交響楽団の演奏だったんだけど、東京フィルの人たちも演奏できるはずだから他の曲とまとめて東京フィルひとつにお願いするほうが気軽かなあと思って」
「気軽かなあ、まあええわ。で?」
「お客さんはわたしひとりだからね、大きなホールを借りる必要はないの。あ、どうやらくんは特別にご招待してもいいよ」
「うちのほうでホール借りたほうが東京で借りるよりも安いじゃろうけど、演奏する人何十人かになるんじゃろう? それじゃったらその人らの交通費宿泊費食費の負担を考えたら自分のほうが東京に行くほうが安くつくんじゃないか?」
「そうかなあ、そうだよねえ」
「みそきちどんさんが東京に行くとして、ホール借りて演奏してもらう、それだけ?」
「んー、それだけって言っても、曲によってわたしが近寄ってガン見して聞きたいパートのところではその楽器のところにこうクレーン車かゴンドラか宙吊りで近寄りたいの」
「お客さん、そんなことされたら、演奏に集中できないんですけど、緊張するんですけど」
「その緊張のストレスも込みの金額換算して日給は払うから見せてほしい」
「それじゃったら、クレーンとかゴンドラとか宙吊りじゃなくて、自分がその楽器のそばにちょこんと座ったほうがいいんじゃない?」
「うーん、ずっとそこにいたいわけじゃないから、かといって演奏中に楽器と楽器の間をちょこまか動くと邪魔でしょ」
「指揮者の人の場所で全部を見渡すのではダメなん?」
「それもしたいの。それはそれでして、なおかつ、スポットで見て聞きたいパートのところではその楽器にズームしたいなあと。マリンバのとこ、とか、ティンパニのとこ、とか」
「だったら、同じ曲を何回か演奏してもらって、今回はマリンバのところで、次はティンパニのところで、って移動したら?」
「それはわたしは何回でも同じ曲聴けるのはうれしいけど」
「そのほうがクレーン車借りたり宙吊りにしてもらったりする設備に投資するよりぜったい安いって。演奏する人らもクレーン車に乗った人がふわふわしとるよりも同じ曲を何回も演奏するほうが気楽じゃろう」
「そうか。そうかな。じゃあ、そうする。ということは、わたしの交通費と東京での宿泊費と、あ、宿泊は上等でカメムシいなくて快適なところね、それと東京フィルの人たちへの謝礼と、演奏する場所は客席は大きくなくていいから、お客さんわたしひとりだけだし、なんなら練習室みたいなところのほうがいいかもしれん、そこの場所を借りる代金と、かな」
「それなら三億円はあてんでもいいけど二千万くらいはあてたほうがいいんじゃないかな」
「だよねえ、十万百万の単位では東京フィルを雇うのには心細いよねえ。でもね東京フィルの人に演奏してもらうために自分で働いて稼ごうとは思わないの。そこはあぶく銭で遊びたいん。でもね楽譜を買うのは自分で働いて稼いだお金で買いたい」
「楽譜なんて売ってるん?」
「うん。テーマ曲の楽譜はわりと簡単に手に入ると思うの。インターネットでダウンロードして印刷するのが五千円ちょっとの相場かな」
「ええ、楽譜いっこに五千円?」
「テーマ曲はね全体譜もパート譜もアレンジした楽譜もいろいろ出回りやすいみたいで全部の楽器の楽譜、たぶん、指揮者の人が指揮棒を振りながら見る楽譜と同じだと思うんだけど、そして私はそれがほしいんだけど、それくらいの値段で手に入れようと思えば手に入るっぽいよ。印刷して冊子になってたらなおうれしいけど、まあそれは自分で冊子タイプのファイルに一枚一枚入れてもいいかな。ただテーマ曲以外の曲はどうしたらいいのか、いまのところわかんないんだよねえ。どこに問い合わせるといいのかなあ、NHKかなあ、作曲家さんかなあ。一般流通してないぶん高価になるとは思うけど、『決意』と『タルカス』清盛用のやつね、の楽譜のために紙代印刷代等々込みで五万円から十万円なら払う気概はある」
「ほおう、太っ腹じゃん」
「うん。楽譜は自力で買いたいけど、東京フィルは宝くじで買いたいん」
「そらまあそうやろうなあ。だんな、おたのしみですなあ」
「うん。こうね、膝のうえに買った楽譜を置いてね、CDを聴くのね、まず全体を見ながら全体を聴いて、それから今度は楽器一個一個の楽器の楽譜を追いながら聴くの」
「おおー、それは楽しいやろうなあ、楽譜が読み取れるんじゃったら」
「うん、でね、楽譜なしで聞いてただけでは取りきれなかったリズムや音を手の先で、たたたんっ、と一緒に確認したりね、くううっ、たのしそー」
「それまで耳で聞いてただけじゃ聞こえてなかった種類の音が聞こえてきたりするかもしれんなあ」
「うんうん、でしょでしょ、きっとそうだと思うの。はあーっ、もうねえ、わたし、その楽譜があれば一生遊んで暮らせるわー。いやもうすでにじゅうぶん一生遊んで暮らしてはいるんだけどね」
「よかったね」
「今日はいいお天気だね。会津磐梯山きれいに見えるかな。たのしみだね」
「おう、おう」
そんな話を旅のときにしていたからだろうか、少し前に出張で大阪に行った夫が宿泊先のホテルの近くに「楽譜屋さんがあった」と、帰ってきてから教えてくれた。「楽器屋さんじゃなくて楽譜屋さんというのがあるんだー」と感嘆するわたしに夫は「おれもそう思った」と言う。楽譜屋さんかあ、本屋さんとも楽器店の楽譜コーナーともまたちがうということだよねえ、どんなところなんだろうなあ。