足場のある吊り橋を渡る

夫がPCを見ながら「ひょえー、ようやるなあ」と感嘆の声をあげる。「なあに?」と訊くと、「冬場になると通行止めにするために吊り橋の板が外されるんだけど、板は外されても吊り橋本体の骨部分はそのままあって、足元はただ両側と真ん中に細い棒がまっすぐにあるだけなんだけど、その細い棒を伝い歩いてその吊り橋を渡って対岸の山に登る人がいるのを読んで写真で見た。うひゃー、やっぱり、おれは、無理、できん。こんな落ちそうなところ苦手」と応える。
「どうやらくん、高いところから落下する可能性がある視界のところだとおしりの穴がつぼむって言うもんね」
「おしりの穴がきゅうーっとなる」
「この場合は、こういう足場のない吊り橋は『渡れない』じゃなくて『渡りたくない』だよね」
「うん。渡りたくない」
「日常的に『なになにできない』というときの『できない』の大半はつきつめてつきつめてつきつめて考えた時には別にそれほど『したくない』か『ただしないこと』かだなあと最近思ってね。それ自体はしたくてもそれに伴う様々の困難度が高いからしないというような総合判断的選択も含めて」
「あ、それはそう。できませんわ、言うのは、たいしてしたくないですわ、とほぼ同義なことのほうが多いんじゃないかな」
「でね、誰かに対して『できません』って言うのは社会的にはソフトなお断り、婉曲拒否、なんだなあと」
「ええー、『できません』はかなり強固なこれ以上ない強い拒否だと思うけどなあ」
「そうかなあ。じゃあ、どうやらくんさ、会社で何か上司の人とかから指示を受けるなり取引先との交渉の場なりなんなりでこれまで『それは、ちょっと、いたしかねます』とか『できませんわあ』って言ってたところを『したくないです』に言い直すようにしてみてよ。そっちのほうが『できません』よりもソフトな拒否だと思うんなら」
「うーん。『したくないです』とか『しません』は拒否では言わんかあ、言わんなあ」
「でしょ。強引な勧誘を断るときにはあえてそういうふうに強く言うことはあるけど、円滑な関係性の維持を求める環境においてだったら、社会的に柔らかいかむきつけかというとやっぱり『したくない』よりは『できない』のほうが適切っぽいでしょ。さらに言うなら『できない』も言葉を濁して『それは、ちょっと…』で意思の疎通に持ち込んだら日本語検定的には上級っぽいかな。むかし教育テレビだったかなんかの外国人向け日本語表現学習番組でこの『それは、ちょっと…』を何回もリピートアフターミーで練習してたことがあったよ」
拒否としては『できない』は『したくない』よりも婉曲かもしれないが、『したくない』だと個人的な好みや感情であるように感じられやすいのが『できない』にすることでそのことをしないことがより道理にかなったあるべき姿だという雰囲気を醸し出す演出効果もあるのかもしれないなあ。