富士山で自由を求める

二年前の7月に夫は富士山に行った。そのときの行程がどんなものだったのか昨夜あらためて聞いた。
アーバスで高速道路を経由して富士山五合目まで乗り付ける。そこからガイドさんの誘導にしたがってツアーメンバーとともに歩く。ガイドさんはツアーメンバーの中で最も体力が少ない人に合わせてペース配分と休憩の指示を行う。
七合目の山小屋に夕方六時前到着チェックイン。到着するなり居並ぶちゃぶ台前に座らされ出てきたカレーを食べる。食べ終わるとちゃぶ台が撤去され、あなたはここに、あなたはそこに、と一人一畳より狭い寝床位置に移動させられる。夫は「寝支度前に寝床の場所に案内されるんだな」と思うが、そう思った直後夜7時頃には消灯。いきなり暗くなった山小屋の中で夫は「えーと、カレー食べた後の歯磨きしたいんですけど」「えーと、靴下臭くなってるんで履き替えたいんですけど」「汗だく砂埃まみれなんで持ってきた着替えに着替えたいんですけど」と思うが、皆がびっしりと横たわっていて自由に身動きはとれない。歩いている間に大量の汗をかいているせいかトイレには特段行きたくならない。
「自分がこんなにカレー臭いままで寝るのは気持ちわるいよう。寝付けないよう。寝られないよう」と思っている状態で起こされる。そしてすぐに出発ですよと言われる。すぐに出発だなんてどうしてもっと早く起こしてくれないのか、と思うが「何度も声をかけたのですが、よく眠っておられて」と言われ「あんなに寝られないと思っていたのにおれは寝ていたのか」と夫は驚く。
夜7時に就寝して3時間後の夜10時起床と同時に出発。本来のツアースケジュールでは夜12時前の起床出発の予定だったが、あまりに登山者が多く山道が渋滞しているため、頂上でご来光を迎えるためには数時間早く出たほうがよいというガイドさんの判断により睡眠3時間で夜10時出発に変更となった。山小屋で「宿泊」というにはあまりにも滞在時間が短い。約4時間の滞在。夜の起床につき山小屋では朝食は出ないが、朝ごはん用の簡易なお弁当を持たせてくれる。そのお弁当を持って頂上を目指して歩く。
大渋滞の山道を5時間ほどかけて歩く。渋滞していなければ3時間前後の行程らしい。夜中3時頃山頂到着。日の出まで山頂で待つ。
富士山頂上には世界各国からお客さんが来ている。夫はトルコから来た青年たちとともに写真に写る。夫が手に持ったトルコの国旗の上下がさかさまだったと青年たちから指摘を受け、トルコ国旗を正しい向きに持ち直して二枚目の写真を撮る。夫は「日の丸だと上下を考えなくていいじゃん。でも考えてみたらたいていの国の国旗には、上下、あるなあ」とその写真を見ては当時を思い出しては言う。
下山はツアーメンバーとともにガイドさんの誘導に従う。前夜3時間の睡眠で、当時はまだ慣れない山歩きで疲れた身体は歩きながら眠る。夫は歩いていて何度か自分が前のめりに倒れそうになる感覚とともに「はっ。いま、寝てた」と目覚め「人間歩きながらでも寝られるんだなあ」と感慨深く思う。記憶があまりないうちに次第に標高が低くなり、バスが待つ五合目に到着。
あの二年前の富士山以降、夫が歩いた山の数はのべ百を超えるらしい。今ならば、あの頃とは違ってもっと体力がついていて、山歩きの技術が上達しているから、ひとりで自分のペースで歩くことができるはずだと夫は言う。そして山小屋でのあの追い立てられるように食事させられ寝床に横にならされ歯磨きも着替えも靴下を脱ぐことすらできない不自由なひとときは、刑務所か捕虜収容所並みなんじゃないか、いやそれ以上の不自由さなんじゃないか、と、刑務所も捕虜収容所も体験したことのない夫は想像で語る。
夫がたのしそうでよかったなと思う。