高村智恵子記念館5/2

岳温泉の宿を出て、智恵子記念館を目指しつつ途中でお昼ごはんを食べましょうと計画する。車のナビに智恵子記念館を入力するが、ナビさんの案内ではなかなか岳温泉から脱出できず、結局地図を見てもともと自分たちが岳温泉にやってきた道から出ていくことにした。
大きな道路沿いのそばと定食のお店に入る。夫はざるそばと天丼のセットを、私は半分ざるそばといなり寿司と小鉢などがセットなったものをネギ抜きで注文する。私達以外にもお客さんがぞくぞくと入ってきて、繁盛してるねえ、と思う。頼んだ品が出てくるのが若干遅く、ネギ抜きでと頼んだのにそばのネギが薬味のお皿にのっている。でもまあ薬味の葱に関しては自分が手を付けなければ済むので、出されてもそれほど問題はない。ネギの揮発成分が目に染みて少し頭が痛く感じるといえばそれはまあそうだけど、それは世の中のいろんな場所であることだから、それはまあそれとする。
私は食べるのに時間がかかるほうだから、夫よりも先に食べ始める。それにしても夫が注文した品が出てくるのに時間がかかる。私のそばとおかずの天麩羅が作成されたということはその時点で夫のそばと天丼も作成されていそうな気がするのだが、私が食べ始めて十五分くらいしてもまだ出てこない。そろそろ私が食べ終わるかな、という頃になって「おまたせいたしました」と出されたお蕎麦と天丼を夫は食べる。夫が食べ終わった頃に私は一度トイレに行き戻ってくる。本当は私のセットの方には食後の珈琲がつくのだが、それも時間がかかりそうだし、私はもともとコーヒーは今は基本的に飲まない飲めないから夫に飲んでもらうつもりでいたし、夫も今はコーヒーは別にほしくないと言うから、ではもう出かけましょうとレジに行く。お店の人が「ああ、セットのコーヒーをお持ちするところなのですが」と言われるが、「ありがとうございます、旅行中でちょっと先を急ぎますので、コーヒーはもうけっこうです」と伝える。
本当はなんにも全然急いでいないけど、旅の予定満載な人のふりをしてみた。
夫の運転で智恵子記念館を目指す。智恵子記念館の看板がある通りに来た時に、夫がその看板の下あたりにある空き地に車を入れる。駐車場というには空き地風ではあるが、明らかに観光施設の駐車場ではなさそうな空き地。
「どうやらくん、ここ智恵子記念館の駐車場じゃないよ。次の信号がある交差点左に曲がったところに駐車場ありそうな表示だよ」
「いや、そんな遠くなはずはない。もっと近くにあるはずだから、ちょっと歩いて記念館の人に訊いてきて。車に残っていてくれるならおれが行って訊いてくるけど」
私は助手席からおりて、小径を歩いて記念館の受付に近づく。しかし記念館の入口の柵ががっしゃーんと閉められており「本日休館」の札がかけてある。柵の中の受付小屋にも記念館にも人の気配はない。
記念館から車に戻ろうと歩いていると、通りに停まった灰色の車から出てきた年配の男性が我が家の車を不審そうに見る。「あ、すみません、すぐに出ます」と会釈をして助手席にのる。
「どうやらくん、ここはあの灰色の車のおじちゃんの個人の駐車場だから、おじちゃん車をここに今入れて停めるところみたいだから、すぐに出てあげて。そして智恵子記念館はお休みで、智恵子記念館の駐車場は次の信号がある交差点を左に曲がったところだよ」
「お、お、おおう」
夫は速やかに車を出す。灰色の車のおじちゃんが即座に車を入れる。次の信号機のところには「智恵子記念館P」という表示と左側を示す矢印がある。なぜ夫はあの状況で私の情報を信じずに、人様の駐車場に車を駐めて駐車場の場所を記念館の人に尋ねようとするのだろう。車が二台しか停まらないような砂利の敷地が観光施設の駐車場であるはずがないのに、動物というか観光客としての野生の勘で施設から少し歩いたところに専用の駐車場が用意されていることに感づきそうなものなのに、とりあえず妻の言うことはききたくない妖怪が出てくると、そういう野生の勘が働かなくなるのかなあ。
なにはともあれ、表示通りに進んだら、それはそれは広大な専用駐車場に着いた。専用駐車場から智恵子記念館までは裏道でつながっていて、表通りから見るよりもその距離はずいぶんと近い。駐車場は広く大きくて、普通の車が何十代かと大型バスが十台弱くらい駐車できるくらいの敷地。他所様の駐車用空き地に無理に車を停めずとも、いったんここまでこの広いところまでやってきてから車を駐めて、一緒に智恵子記念館まで歩いて、あらあら今日は休館日だったのね、と二人で気づけばよかったのではないか。
夫も夫なりにちょっと判断力低下してるかも、と思ったようで「運転変わって」と言うからそうする。妻の言うことをききたくない妖怪は、多少の疲労で集中力や判断力が低下したときに現れやすい。
そういうわけで高村智恵子記念館の見学はかなわなかった。とはいえ、私も夫ももともと特別高村智恵子さんや高村光太郎さんの作品のファンかというとまったくそういうわけではない。ここは智恵子さんの生誕の地だからこういう施設があるのね、そうなのね、ほうほう、という程度。
智恵子さんは「東京に空がない」と言い、「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だと言う」と光太郎さんは「あどけない話」という作品に書いている。しかし今回安達太良山(阿多多羅山とも書く)の山頂に赴いた夫は「ちえこー、こうたろー、阿多多羅山の山の上には青い空なんかなかったぞー、ガスだらけでなんも見えんかったぞー」と言う。
今回の旅行で勉強になったのは、福島県には安達太良山という山があるということ。そして安達太良山や阿多多羅山とも書かれるということ。宿の部屋にかけてあった書「あれが阿多多羅山あの光るのが阿武隈川」の詩は「樹下の二人」という光太郎さんの作品の一部であるということ。「智恵子は東京に空がないという」という始まりで書いた光太郎さんの作品は、その始まりを夫も私も学校教育のどこかで習った記憶があったということ。智恵子さんが「東京に空がないと言う」そのフレーズは習った記憶があっても、その作品の中に出てきた阿多多羅山という山の名前もその場所も全く記憶なく生きてきた。今回夫が登って初めてその名前と場所といろいろを知った安達太良山のイメージを獲得した現在、阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空という詩の一部を今後見れば見るたびに「安達太良山は煙っていたなあ、空は灰色だったなあ、空が青い日もきっとあるのであろうなあ、私の記憶の中の安達太良山は灰色の空の中の存在だけれども、この地で生まれ育った智恵子さんにとってはあの山の姿形と空の青いその色が『記憶』なのだろうなあ」と思うのであろうなあ。