馬刺し定食5/3

雨の会津磐梯山周遊を終えて会津地方の道を走る。
「そうえいば、昨日の夕食の時に宿の人が来館記念にどうぞって一人にひとつずつプレゼントしてくれた版画のハガキね、私あれと同じ物をもう一セット持ってるんよ」
「え、なんで?」
岳温泉の宿のフロントの前の棚の下の方に無造作に置いてあったのをもらったの。旅のお便り書くのに使おうと思って。たぶん県かなあどこかからの配布物で観光業の営業に活用してくださいという趣旨のものなんじゃないかなあと思うんだけど、岳温泉のところみたいに欲しければ持っていけばというかんじで無造作に置いてあるのと、食事の席で旅の記念にどうぞって手渡されるのとでは、全く同じ物をもらうのに、なんというかありがたみのようなものが異なるなあ、サービスの差というのはこういうことなのかしらねえ、と思った」
「そりゃあ、全然ちがうよなあ。たしかに岳温泉のあの旅館は放っておいてくれる加減は快適は快適なんだけど、もうちょっとこうサービス業としての頑張りようがあるなあいうかんじではあったもんなあ」
「そうなのよねえ、こう、掃除なんかもちょっとちょっとが行き届いていないどころかけっこうけっこう行き届いていなくて、やる気がないわけじゃないけれど、かといってやる気があるわけでもない、そういうかんじだったねえ。ところでお昼ごはんは何を考えていますか」
「道沿いに気の利いた馬刺しのお店、肉屋として馬刺しを売ってるんじゃなくて食堂として馬刺しを食べさせてくれるようなお店があるといいなあ、と思ってるんだけど」
「馬刺しを食べさせてくれるお店ってそういえばあんまり利用したことないかもしれない。熊本で馬肉料理屋さんにわざわざ行ったことはあるけど。熊本や東北でたまたま入ったお店に馬刺しがあって注文することはあっても、あと旅館の食事に馬刺しが出てくればいただくことはあっても、お昼ごはんに馬刺しを求めて車を運転したことってないかもねえ」
そんな話や別の話をしながら数十キロを走る。
「あっ、左前方、桜刺身定食って書いてあるっ。桜刺身って馬刺しでしょ?」
「うおおおお、みそきち、すごいっ。よく見つけたなあ」
「ふふふふ。念勝ちやね」
そこは馬刺し販売をする売店と、その隣に広い食堂があり、食堂では馬刺しの定食の他、馬肉ステーキ定食、馬肉ホルモン定食などの馬肉料理がメニューにある。しかしお客さんの大半は馬肉狙いというわけではなく、味噌ラーメンや野菜炒め定食など馬肉と関係のないものを注文して食べている。しかし、どのテーブルにもまず最初にお水とおてふきと一緒に「馬肉の煮込み」が無料でサービスされる。
そして夫と私は一人でひとつずつ「桜刺身(ロース)定食」を注文。桜刺身(モモ)定食もあるがなんとなくロースの気分なのでロースで。私は「もしネギが薬味などで入るときには私のほうだけネギ抜きでお願いします」と頼む。お店の人が「ネギは入ってないんで大丈夫です」と教えてくれる。
注文して九十秒ほどで馬刺しの定食が運ばれてくる。はやい。馬刺しと、冷奴と、お漬物と、ご飯。馬刺しの薬味は昨夜の宿と同じにんにく味噌。
夫は念願の馬刺し三昧が叶って満足そうに馬刺しを口に運ぶ。私は宿で宿の朝食をとるとお昼ごはんが入りにくくなるいつもの症状で食が細いかんじになっているので、馬刺しは半分以上夫に譲って、ご飯と冷奴とお漬物と味噌汁中心に少しずつ食べる。
馬刺しは私も好きではあるが、食べるときにはやはり薬味がほしい。ニンニクが食べられない今となってはせめて生姜がほしい。生姜くださいと言えば馬刺しが数倍おいしくなることはわかっているのだが、わざわざおろし生姜くださいと頼むのが面倒くさくて、薬味なしで食べる馬刺しは味が単調。
今回の会津旅行で夫が「馬刺し馬刺し」と言っていたのもこれで完結することであろう。
そういえば「会津」の「あいづ」は、私はこれまで「こんぶ」「テラス」「タオル」「パンダ」「毛布」などと同じ音階で発音していたが、宿でテレビを見ているときのニュース番組でアナウンサーの人が発音する「会津」の音階は「ゴボウ」「豆腐」「かかと」「かかし」「団子」などと同じ音階であることに気づいた。うわー、そうだったのかー、知らなかったー、と感心した。しかし猪苗代湖の遊覧船に乗った時の船内アナウンスの「会津」の発音は「昆布」の音階のときもあれば「豆腐」の音階のときもあり、もしかするとこの地方もアクセント自由地帯なのだろうか、「雨」も「飴」もその音階を使い分けなくても自由自在に前後の文脈で意思の疎通ができる人々の住まうところなのだろうか。