黒部五郎岳弁当

朝五時頃から歩き始めて、一旦黒部五郎岳の山頂を経由して下山する。夫は黒部五郎岳カールでとある人に追い越される。
「カール」というのは山の一部が昔の氷河で削られてスプーンで削り取られたような地形になっている場所のことをいうらしい。すなっく菓子の「カール」の名前もこの「カール」に由来しているのだと夫は言う。そういえばお菓子のカールのCMでは登山服を着た絵のおじさんが登場していたような。いやいやあれは登山服ではなく農夫姿だろうか。
その黒部五郎岳カールという場所で夫を追い越した人は、登山シャツの上半身の表側にびっしりとピンバッジをつけている。
これまで登山帽の周りにピンバッジをつけている人はあちこちで多く見かけたが、衣服のしかも前側に何十個ものピンバッジをつける人に遭遇するのは初めてのこと。
夫は「思わず、声かけて、写真撮らせてください、って言いそうになった」と言う。
「それはぜひ写真を撮らせてもらって私に見せてくれたらよかったのに」
「あれが、どこかで休憩している時なんかなら、わりと声をかけやすいんだけど、自分も相手も結構なペースで歩いているときというのは、軽く挨拶をすればするだけで精一杯なんやろうなあ」
夫が今回山小屋で買ってきた黒部五郎岳のピンバッジの製造会社は「TKK」。高崎金属工芸、の略。これまで夫が買い集めてきたピンバッジに比べると今回のピンバッジはたいへんに繊細な意匠で彫りの芸が細かい。ピンバッジも作る会社によって雰囲気が異なるのねえ。ピンバッジを作る会社が全国にそんなにいろいろあるのもなんだかすごいなあ。
朝五時頃から歩き始めた夫は八時を過ぎた頃に「このまま歩き続けたら、妙高火打を歩いたときみたいに暑さと疲労に負ける」という直感を覚える。
妙高山火打山を歩いたときには、気候がずいぶんと暑かったのだが、特に何も思わずそれまでの山歩きと同じ感覚で歩いたところ、山小屋についてから、そして、下山して帰宅してから、身体がだるいことに気づいた。脚そのものの疲労や筋肉痛はそうでもないのだが、全身のだるい感覚がこれまでにないものであった。
そのときに夫は、疲労が生じにくいように、身体がだるくなりにくいようにするには、どうしたらいいのだろうか、と、思案してある方法に気づく。
それは食事時になったから食事をするのではなく、空腹になったから食べ物を補給するのではなく、そうなる前に身体に栄養を投入してやる方法。
食べ物は食べてすぐに栄養になるわけではなく、胃腸から吸収されて筋肉や神経に行き渡るまでには少々の時間がかかる。その時間をある程度見越して、食事時間っぽくないときであっても、食事場所っぽくない場所であっても、空腹を十分に感じていなくても、早め早めに食べ物を食べ、飲み物を飲む。
食事というのは、たしかに、十分にお腹がすいた状態で食べるとたいへんにおいしく感じる。しかし食事をおいしく食べることが目的の場合にはそれでよいが、疲労少なく山を歩く、という目的ににおいては、十分な空腹と極上のおいしさ、というのは優先順位が異なってくる。
それで今回夫は、朝八時半になるころにはいったん荷物をおろし、休憩ポイントではないところで、道端のすこし広くなった座れるところに座って、山小屋で持たせてもらったお弁当を開けて食べる。
夫が朝八時半に道端で弁当を広げて食べる姿を見て、夫のそばを通る人達は「あれ、もうお昼ごはんですか」だとか「お疲れになったんですか」など、食事時間帯食事場所としては一般的でない情景に声をかけてくださる。夫は「おまえら、知らんかもしれんけどなあ、こうやって早め早めに身体に栄養を投入するのが、あとあとの疲労やだるさ予防になるんじゃーっ」という確信を抱いてお弁当を食べる。そのお弁当のあとも、空腹を感じる少し手前の段階で携帯非常食を開封して食べる。そうしたところ、今回は疲れた感じだるいかんじをほぼまったく感じなくて済んでいるという。
夫からこの話しを聞いた私は「どうやらくんは山に行く人になってから、身体との向き合い方がどんどん私に似てきたよね」としみじみと言う。
もともと夫は通常の日はもちろんのこと旅先でこれといったスケジュールがない場合であっても、お昼だから何かちゃんとしたものを食べないと、何時だから食べた方がいい、というようなことをよく言っていた。私はどちらかというと、その時の自分の身体が欲するものを欲する時に少しずつ口にするタイプ。
旅先で私がごそごそと車の中で食べ物を出して食べたり、特別観光地というわけではないところで観光食品というわけでもないものを買って食べたりするときに、夫は「今の時間にそんなもん食べたら、お昼ごはんが(夕ごはんが)食べられんようになるじゃん」と私に注意していた。しかし、私はそこでその食品を身体に投入することで、頭痛を防ぎ疲労を防ぎ機嫌よく旅行を継続する体調を維持するための作戦を粛々と決行していたのである。それに私は一度にそんなに大量には何かを食べないから、食事時間の食事は食事としておいしく食べることができる。
夫が山を歩くために、試行錯誤して工夫して行うようになった様々なことが、実際にやってみるといちいち私が日常や旅先で行なっていることとかぶる。そこにいたって夫は「みそきちどんさんにとっては、下界での毎日がすでに山の上なんやなあ。日常生活やそのへんに旅することが山歩きなんやなあ。ご苦労さん」と労ってくれるようになった。
そうして夫が朝八時半に早めに食べたお弁当は、これまで山小屋で持たせてもらったお弁当の中では一番内容がよかったらしい。「なんたって、うずら卵がふたつも入ってたんだから」と夫はその弁当のことを賞賛する。
夫は「下りは時間がそんなにかからないから六時間か七時間でおりてくるんじゃないかな」と出発前には言っていたが、実際に歩いてみたら十分に八時間はかかった。山の上から遠くに見えるあの山にもその向こうに見えるあの山にもさらにその向こうに見えるあの山にも、みんな百名山だからついでに登りたいけれど、それはまた今度もう一泊余分に山で泊まる計画にできるときのおたのしみにしよう、と決める。
山をおりたら車に乗って再び有料林道を通りぬけ一般道に戻る。最寄りの温泉銭湯に立ち寄り汗を流す。この時に湯船の中で自分の身体を丁寧にマッサージするようになでておくのもその後の疲労感だるさの軽減におおいに関係するのだと夫が言う。
「ね。だから、私、お風呂に入った時、たいていいっつも自分で自分の脚とか身体とかもんでるでしょ。なのに、どうやらくん旅先で一緒にお風呂に入っても、私が湯船でマッサージしてると、ああまた時間のかかることして、おれはもう先にあがるから、ゆっくりどうぞ、じゃーねー、って言うけど、あれも私にとっては旅先での体調を維持して旅終了後に疲労やだるさ少なく日常に復帰するためのテクニックなのが、わかってもらえたかしら」
「王様、たいへん失礼いたしました。王様のなさることには無駄なことはなにひとつございませんっ」
温泉銭湯でさっぱりした夫は今度は空腹をおぼえ、最寄りのドライブインでお蕎麦を食べる。時間としては三時くらいだろうか。おやつの時間といえばおやつの時間ではあるが、以前の夫であれば「そんな時間にそばなんか食べたら夕ごはんがおいしくなくなるじゃん」と控えていたかもしれない。しかし、山を歩いた身体をメンテナンスする目的においては、その時に身体が欲するものをたとえ何時であっても身体が欲する時に身体に与えようという意志と意図をもって摂取したほうが得策。
これは午後三時に限らず、たとえば夜遅い時間に何か食べたくなった時にも、こんな時間に食べるのは身体によくないだとか太るだとかいう否定的な気持ちで食べるのではなくて、どうせ食べるのであれば自分の身体の感覚を信頼しておいしく気持よく食べるのがよいと思う。
もちろん生活習慣病対策的に問題のあるような習慣は避けるほうが望ましいだろうが、問題のある習慣としてではなく、その時の身体がその時の身体として求め訴えてくることに関しては、肯定的に応えてやるほうがその効果は好ましい形で現れやすい。身体がほうっと満足する感覚はもちろん、気持ちとしても自分はなすべきことをなしているという安堵と自信の中にあることは、自分の心身のメンテナンスにおいて重要なことであるように思う。そうすることで自分の身体やこころとの信頼関係を地道に築き保つようなそんなかんじ。
日曜日の夕方予定していた時間になっても帰宅しない夫に「もしかしたら遭難したのかしら」と少し思いはするものの、まあ、火曜日の仕事までに帰ってくればいいことだからね、月曜日の夜になっても帰ってこない時には捜索願を出そうかしらね、と思う。でも結局は無事に少し遅めにはなったけれど、ちゃあんと日曜日のうちにおうちに帰ってきたから、めでたしめでたしなのであった。