笠ヶ岳と国際電話

10月6日7日と一泊二日で夫が行った山。岐阜県笠ヶ岳(かさがたけ)。日本百名山のひとつ。
山小屋には続々とお客さんがやってきて、宿の人からは「もしかすると今夜はお布団が二人で一枚になるかもしれませんが、そのときにはご協力よろしくお願いいたします」と案内がある。
出発前に自宅で夫は「自分用の布団を一枚確保できるんであれば、千円か二千円くらい余分にお金払ってもいいんだけどなあ」と話していた。
「んー、でもね、布団一人で一枚使いたいから余分にお金を払っててもね、すんませーん、泊めてくださーい、っていうお客さんがたくさん来て、お布団シェアするしかない、ということになったときにはどうするの?」
「それは当然キャッシュバックでしょう。うーん、でも、そんな手間をかけるよりも、今のやり方のほうが、建前的にも本音的にもいいんやろうな」
「建前は、来るものは拒みません、というところかな?」
「うん、山での安全を鑑みて、来た人はとにかく受け入れます、と。でも布団が一人で一枚でも二人で一枚でも三人で一枚でも一泊二食付九千円から一万円ならその値段で固定してるほうが山小屋としては手間がないというか、布団の数としてはキャパシティがなくても人が多く来れば多く来るほど儲かるもんなあ」
夫が6日に泊ったときのお客さんは百人程度。夫は帰宅してから「一晩で百万円かあ」とつぶやく。
実際には山小屋に常備されるお布団の枚数を超える客数とはならず、一人一枚のお布団での睡眠が叶う。
「もしも布団をシェアするときには、どうやってお布団シェアグループになる人と一人一枚で寝るグループの人とを決めるんだろう、小柄な人同士にお願いするとか何か基準があるんかなあ」
「どうなんやろうなあ、そのへんは、宿の人の一存なんかなあ」
「でもさ、実際には二人に一枚というよりは、みなさんちょっとずつ寄ってもう一人入れるくらいに詰めてくださいねえ、くらいなかんじで、三人で二枚とか、四人で三枚とかで、厳密に二人で一枚なわけではないんかもしれんね」
「うわー、三人で二枚の真ん中とか寝にくいやろうなあ。百枚お布団があるところに二百人のお客さんが来たら、みんなが平等に二人で一枚じゃけど、百枚布団があるところに150人のお客さんが来たときに百人は二人で一枚なのに残りの五十人は一人一枚とかじゃあ、なんかそれはまずいもんなあ」
「もうね、どうやらくんね、お山に行くということ自体が下界の感覚とは、特にサービスに関する価値観みたいなものに関しては、下界とは異なる世界に足を踏み入れることなんじゃけん、お山の上では布団に関しても諦めるというか手放すというか悟るというかそういうわけにはいかんのんかなあ」
「見知らぬ人とひっつきもっつきで寝るのは、それは、結果的にそうなった時には仕方ないけど、自分のほうからあえて他人と布団をシェアする方向に行きたいとは思わん」
それは、まあ、そうだよね。
夫が笠ヶ岳にいる頃、我が家の電話が鳴る。発信元は81から始まる電話番号。はて、国際電話なのかしら、でも、81は日本の国番号だよなあ。最近の携帯電話は090の前に81もつくようになったのかしら。
電話の主は、夫の勤務先の人で、夫は出かけていて明日の夜に帰るのですが、と伝えると、少し途方にくれた声になる。
「あの、もし差し支えなければどうやらさんの携帯電話番号を教えてもらうことはできますでしょうか」
「ごめんなさい。差し支えはないのですけれど、携帯電話がつながらないところに行っているものですから、電話はつながらないのです」
「はああああ、そうですか……」
「あの、もし日曜日の夜でもよろしければ、帰りましたらこちらからお電話差し上げるようにいたしますが」
「ああ、そうしていただけますか、ぜひよろしくお願いいたします」
「では、念のため今一度お名前とお電話番号を教えていただけますでしょうか」
そうして控えた連絡先を帰宅した夫に伝える。夫は「なんやろうなあ」と首を傾げる。
「うーん、なんとかして連絡取りたいかんじじゃったよ。もしかすると会社関係のどなたかのおくやみ情報で今日明日にお通夜とお葬式があるとかかもしれんしねえ。そんな時に連絡があるような心当たりのある人ではないの?」
「うーん。名前は知ってるけど、部署は違うしなあ。そういう時に連絡してくる係でもない人なんだけどなあ」
夫がその人に電話をかけたところ、その人は現在出張で中国に滞在しており、取引先の工場の機械を検査するために用いる検査機器がうまく作動せず検査ができず困っている状態であることが判明。その検査機器は夫が所属する部署から貸し出されたものであり、その検査機器のことを詳しく知る夫にこういう場合の対処法を教えてもらいたい、ということであったらしい。
夫はその検査機器の状態を一点一点口頭で確認し、それならば機器のここの部分をこうすれば、この検査とあの検査は確実にできるから、最悪その検査はできなくても、それは今回検査結果が出ないとしてもそれはまあ問題ないといえば問題ないことだから、あとからでもまたどうにかできることだから、今の機器の状態でできる範囲で大丈夫です、というようなことを説明。
相手の人は心底安心した様子で、休日なのに仕事のことで電話してすみませんでした、助かりましたありがとうございました、と海の向こうで頭を下げる。
そういう事情だったのであれば、どうやらくんとできるだけ早くに連絡とりたかったんだろうねえ、出張先の外国で仕事が進まなくてきっと心細かっただろうねえ、どうやらくんが電話をかけてみて相手の人につながって説明ができてよかったね。それにしても相手の人が外国にいても、日本の携帯電話番号に電話をかけてそのままでつながるんだねえ、国際電話料金は相手の人が負担してくれる形なのかな。国際電話番号と国番号を頭に付けなくても国際電話での通話ができる時代に私たちは生きているんだなあ。