偽善について考える4

次に難易度が高かった(回答を選ぶのにいちいち注釈がついた)テストは「偽善者レベルチェック」。質問に対して「はい」か「いいえ」で答える形式。「はい」か「いいえ」のみで答えろだなんてアメリカの犯罪捜査ドラマや法廷ドラマの法廷みたいだな、と思いつつ進行。
質問1:一日に何度も愛想笑いしている。とりあえず「いいえ」
「愛想笑い」ってなんだろうなあ。いや語彙としては知っている。ただ自分が日々大笑いではなく笑顔でいるときの笑顔が「愛想笑い」なのかただの「笑顔」なのかいちいち考えて「ああ、今、愛想笑いしてるなあ」と思ったことはあるかなあないかなあ。少なくとも私の場合は職業柄見知らぬ他人に対しても見知った人に対してもご来店くださった方は笑顔で出迎えるのが基本だ。その笑顔が「愛想笑い」だと分類されるなら「一日に何度も愛想笑いしている」ことになり回答は「はい」であろうし、「愛想笑い」とは分類されない(分類するのは誰なのかしら)のであれば回答は「いいえ」になるなあ。
質問2:誰か見ている時と、誰もいない時では行動が違うことがある。とりあえず「はい」
質問文の句読点の位置が私のタイミングとは異なるのが気になるが原文がそこで読点だというならそのままで流していざ前進。
「異なる行動」の内容が何かによるとは思うが、私は基本的に夫といちゃいちゃするような行動をとる場合は誰か見ている時よりも誰もいない時を選ぶようにする傾向はある。それは社会的に適切な判断であると思っているし今後もそうするであろうと思う。
質問3:実は、知らない人には、冷たい。とりあえず「いいえ」
私が冷淡に接するのは既知であるか未知であるかによるのではなく、相手の言動が私にとって気持ちよいか気持ちよくないかによるように思う。車の中から路上にゴミを投棄する人に直接対峙することがあったらおそらく「そんなことしてええと思ってんのか、ワレ」的視線と念を相手に浴びせかけるはずでそれは冷たいものであるはず。
質問4:常に自分と誰かを比較している。「いいえ」
めずらしくすんなり回答ができた。正確に回答するのであれば「自分と誰かを比較する方法があまりよくわかっていないためそれを習慣にもできていない」になるかもしれない。
質問5:仲良くしていながら、実は嫌いな人がいる。「いいえ」
交友関係は厳選しており、きらいな人と仲良くするような余地や猶予は私の人生にはなさそう。
質問6:自分よりレベルの低い人には、優しく親切だ。「いいえ」
接する相手のレベルをいちいち計測する習慣はない。親切に接する場合も同様。
質問7:自分がよい行いをした事は、さりげなく周囲にしらせる。「いいえ」
周囲とは誰のことだろう。よい行いとはどんなことだろう。結果的に話題になることはあるかもしれないが「しらせる」目的ではなく「例示する」目的であることが大半であるように思う。ああ、だが、しかし、家庭内において夫よりも私が先に何か(翌日がゴミを出す日であることに気づいて中身のあるゴミ袋を出す支度をして新しいゴミ袋を設置する作業など)気づいて行った場合は、さりげなくではなくしっかりと夫に「気づいたよ、えらいじゃろ」と「しらせる」。そして「やったね」だとか「ありがとう」と言って喜ぶ。これはお互いにそうするようにしているところがある。
質問8:自分にとって、メリットのある人と無い人を分類している。「いいえ」
ああ、そろそろ読点はともかく、漢字変換を原文に合わせるのが少々つらくなってきたかも。ええと、メリットのない人、というのは、デメリットのある人、とは別物かしら。
質問9:人に何かをしてあげる時、頭の中で見返りの計算をしている。「いいえ」
お薬をお渡しするときには、このあと会計でいくらいくら忘れずにもらうこと、お金をいただいてから領収証をおわたしすること、という仕事の手順は気をつけてそのとおりにするようにはしている。会計が見返りで計算が仕事の手順や段取りのリハーサルであるならば「はい」という回答になるのかなあ。
質問10:他人が不幸になると、少し嬉しい。「いいえ」
他人が誰でどういう人なのかにもよるが、車中から路上にゴミを投棄する人であってもその人の不幸を嬉しいと感じるかどうかというと間違いなく「いいえ」だ。嬉しい、とは異なるが、不法投棄をしたことでその人が条例なりなんなりで咎め立てを受け罰金なり罰則なりを負うことになったというのであればそれはしかるべき処遇であろうとは思う。でもそれは「嬉しい」とは異なる感情だと思う。
質問11:どちらかというと結婚式よりも、葬式の方が好きだ。「いいえ」
うう、この質問筆者の文体模写は私には無理かもしれない。ええと、結婚式が特別好きなわけではないがお招きをいただけば特段の事情がない限りありがたく参列する。お葬式はお葬式で参列した時に他界した人をお見送りし、見送ることに集中できるよいお葬式だったなあと思うことはある。真夏の炎天下や真冬の吹雪の中での屋外参列ではなく快適な環境で故人を偲ぶほうが偲ぶ気持ちのひだに余裕がある(厳しい天候のもとではその余裕が少なめになる)のは生き物として当然の反応だろうと思う。
質問12:うそ泣きが上手だ。「いいえ」
以前隣室に住んでいた一家の子が1歳から2歳の頃、ベランダ越しによくその子のうそ泣き声が聞こえてきて、夫と「おお、今日もがんばってうそ泣きしよんなあ」と微笑ましく聞いていたことを思い出した。自分のうそ泣きに関してはいつしたのが最後なのか思い出せない。
質問13:人には見返りを期待しても、自分は何も返さない。「いいえ」
見返りを期待する時には、まず自分がその相手に直接そうできればそうするが、そうできないときにはその人ではなくて誰か別の人に対してであっても何か供給のエネルギーを自分のほうが先に放出する。期待する見返りが得られていないような気分になる時というのはだいたい自分の側の供給エネルギー出し渋りが蓄積していることが多いように感じる。それはエネルギー循環の仕組みとして。
質問14:感情があまり顔に出ない。「いいえ」
感情が激しく顔に出るわけでもなく、まったく出ないわけでもなく、社会生活を営む上で不都合や不便が少ない程度で「はい」でも「いいえ」でもないのではないかなあと思う。
質問15:本当は子供が嫌いだ。「いいえ」
誰かを好きになったり好きでないと思ったりするのに相手が大人であるか子どもであるか老人であるか新生児であるかどうかは関係ない。特に年少の人間に対しては基本的に「あなたのことをこの世に歓迎しているからね、存分に人生を堪能してね」の意を込めて見守りはするがそれは「子どもが好き」だからではない。
質問16:顔で笑って、心で冷笑していることがある。「いいえ」
心で冷笑は、立腹とも残念とも悲嘆とも異なる何かなのであろうなあ。どんな時に誰に対してどういう事情でそういうことになるかなあ。たとえなんらかの経緯でそういう事情が生じたとしても、気持ちとして相手に冷笑感情があるのに実際の顔面筋は笑みを維持するというのも何か事情があってのことなのであろうなあ。
質問17:知っている人とすれ違っても、気づかない振りをすることが多い。「いいえ」
フリではなく本当に気づかないことが多い。周囲の人の相貌にあまり注目していないことのほうが多いのだろうと思う。ああ、でも、そういえば、カイロプラクティックの整体師さんや美容室の美容師さんとは「お互い休日温泉銭湯だとかどこかで遭遇しても裸だったりだらあっとした格好や顔をしていることのほうが多いと思うんで、もし気づいてもそっとしておいてくださいね」「はい、よほど双方ぱりっとしていない限りはお互いそっとしましょうね」という協定は結んでいる。
質問18:心にもないことを、よく言う。「いいえ」
自分で何か言うときにいちいち「ああ、これは自分の心にあることだ」「いや、これは心にないことだ」と弁別しながら話す、かなあ。心にもないこと、ってなんだろうなあ。
質問19:とてもよい人だと思われている。「いいえ」
他人が私のことを「とてもよい人だ」と思っているかどうかの確認作業を行ったことはない。唯一夫は私のことを「極悪非道」と評することがあるが、彼以外の人は私のことを「とてもよい人」だとまでは思っていなくても「どちらかというとよい人」くらいに思うのが妥当なあたりであろうと思う。
質問20:やっぱり自分が一番かわいい。「はい」
このテストの中で初めての「はい」即答かも。一番かわいい、の「かわいい」がどういう定義なのかにもよるが、必要な観察と適切なケアを行いやすい対象である、という意味であるのならば「はい」。
以上20の質問に回答した結果表示された「診断結果」は、「偽善者レベル1」。
「自分に嘘をついていませんか? 
自分に良い子ぶっても何の得にもなりませんよ! 
もしかしたら、あなたは本当に心の優しい、親切な人なのかも知れません。
でもそれが誰かの目には、わざとらしく映ってしまったりすることも有るようです。
もう一度、自分自身を客観的に素直にかえりみて見ましょう。」
安心して大丈夫。私のそういうところを「わざとらしい」と不快に感じる人との交友は鋭意制限するから、お互いに安心して大丈夫。
そして今更ながら、ああ、そうか文体というか句読点や漢字変換を書き写すのがつらいなら最初からこうしてコピー貼り付けすればよかったのだわ、と気づく。よし、次のテストではそうしよう。でもそれはおそらく明日以降。