偽善について考える5

みっつめのテストは「偽善者診断度」。このテストはもっとも回答しやすかった。理由は回答の選択肢が「はい」「いいえ」「わからない」の三択であること。この「わからない」があるのは非常に助かった。それでも注釈を付けずにはいられないのが、私がこの手の診断遊びに向いていないということなのだろうなあとは思う。
質問1:ほとんどの友人とは浅く広くの付き合いだ。「わからない」浅いとか広いの意味か数値を限定してほしい。どうだったら深くてどうだったら浅いのか、何人だったら広いのか狭いのか。
質問2:友人の数が多いのが内心自慢だ。「いいえ」むしろ少数精鋭なのが自慢。
質問3:人の自慢話を笑って聞けるが内心腹立たしい。「いいえ」自慢話はたいていの場合かわいらしいというか微笑ましい。自分が好ましく思っている人の自慢話であればなおのことその人が嬉しいのがうれしい。
質問4:今幸せだと心の底から思っている。「はい」今までも今からもそれはいついかなるときも揺るがないのだろうなと思う。自分にとってなんらかの厳しい状況にある場合でも、厳しいからといって幸せでなくなるというようなものではないような気がしている。なんだろうなあ、厳しい状況にあるときにはたしかに快適や安心や安寧は減少もしくは激減することが多いが幸せそのものは基本的な必要量は常にそこにあるというか、そんなかんじ。
質問5:激昂(怒って激しく興奮)することがある。「いいえ」子どもの頃は今よりもずっと思い通りにならないままならないことが多かったから今にして思うとかんしゃくを起こすしか手がなかったのかなあ、と思う程度には昔は激昂したことがあるような気がする。最近(ここ十年以上くらい)は激昂するおとなを見ると「ああ、この人はスタミナ豊富なタイプなのかなあ」だとか「激昂って常日頃からやってないとたまにしようと思ってもとっさにそうするタイミングを逃すし無理に激高すると消耗が激しくてあとで寝込むから私はやめておいたほうが安全そう」と思う。怒りを感じた時には激しく興奮するのではなくだいたいそのまま「悲しくて」「残念な」気持ちに勝手に移行する。悲しく残念な気持ちもやはり心身を消耗するらしく、そうなった時には四の五の言わずに粛々と寝こみ回復を図る。
質問6:自分には自信を持っているのに周囲の評価がそれより低いので内心不満だ。「いいえ」周囲の評価の高低はどうやって計測するのかしら。
質問7:目立ったり注目されている人に対してむかむかする。「いいえ」私の周囲で目立ったり注目されている人って誰がいるかなあ。あー、でも、車の中から路上にゴミを投棄する人は目立つし私は注目するし非常にむかむかするなあ。でもこの質問に対してはそれを理由に「はい」と答えるところではないと思う。
質問8:実は面食いだ。「いいえ」または「わからない」。顔面の(顔面に限定しない身体全域に及ぶのかな)構成に関する好みの話だとは思うが、私が好ましく感じる種類の顔面が「面食い」の「面」に相当するのかどうかは不明。
質問9:怒りや恨みがいつまでも心に沈殿する。「いいえ」「怒り」や「恨み」専用の保管箱にわりと長期保存するほうだとは思うが沈殿したまま放置はしていないのではないかなと思う。きちんと掬い上げて保存するべき場所に保存し自分の労をねぎらう。
質問10:ボランティアをしたら周囲にそれとなく匂わせる。「いいえ」ボランティアの定義がなんだろうなあと考え中。地域等の清掃活動はボランティアなのかな、だとしたら自分ひとりで歩いている時にゴミを拾うのもボランティアなのかな。家庭外職場外での無償の「望ましい活動(犯罪活動を除く)」は自動でボランティアになるのかなあ。ああ、最近勤務時間外に自宅で勤務先のイメージ曲を作曲したのはボランティアになるかしらねえ。それについて「作曲した」「メトロノームの意味が初めてわかった」とみそ文に書くのは「それとなく匂わせる」ではなくて「明らかに表明する」にあたるのかなあ。
質問11:人に忠告や注意をすることが多い。「わからない」もしくは「はい」薬の使い方等についての注意忠告をするのはそういう仕事であるからなあ。それが多いか少ないかというのが偽善と何か関係があるんだろうか。
質問12:人に忠告や注意をする時は、皮肉まじりかきつい言い方になる。「いいえ」そんな言い方したら患者さんもお客さんも話を聞いてくれん。業務上あえてきつい言い方をする演技をすることはあり、それも職人技のうちと思い研鑽を重ねているが、それは常態ではなく秘密兵器の一種。
質問13:他人のものがとてもよく見える。「いいえ」他人が誰かでそのものが何かによるのではないかなあ。他人の何かがよいものに見えて、その結果私が喜んだりうれしい気持ちになる、という意味での「他人のものがとてもよく見える」なのでもよければ「はい」。他人が書いた日記等を読んで「ああん、もう、うまく(よく上手に)書いてくれててたまらんなあ、おもしろかったー、興味深いなー、読めてよかったー」と思うことや誰かが作った映画やドラマを見て本や漫画を読んで「ああー、おもしろかったー、いいもの作ってくれてありがとー」と思うのも「他人のものがとてもよく見える」にあたるのであれば「はい」。でもこのテストは偽善を計測するものであるから、感情の基本は「気に入らない」に置いて考えることになっているのではないかなと思うから回答は「いいえ」。
質問14:人のものがほしいのではなく、奪うためだけに奪ってしまうことがある。「いいえ」人のものに限らず、ほしくもないものを手に入れる労力をかけるほど私はスタミナ豊富なタイプではないと思う。
質問15:友人やライバルが脚光を浴びると腹が立つが、表面上は手放しでほめちぎる。「いいえ」脚光を浴びる、がどういう状況なのか考え中。
質問16:人を監視して密告するのが好きでたまらない。「いいえ」そういうスタミナが必要な活動は不得手。生存上そうすることが必須の社会に身を置かざるをえない状況になった場合にはそれなりにそうするであろうしできるだろうとも思うが、かなり自分の命を縮め生存の質が低下するのだろうなあ、とも思う。
質問17:自分に逆らう者は絶対に許せない。「いいえ」夫はしょっちゅう私の言うことに対して「いや、それはない」と言い、私の提案はとりあえず却下する傾向がある。あれはそういう妖怪にとりつかれているのであろうと思う。そして妖怪は許すとか許さないとか(ここは私は漢字なら「赦す」そうでないならひらがなで「ゆるす」と書きたい)そういう対象とはちがうと思っている。夫の「逆らい」があまりにもわかりやすい「逆らい」であるせいか、彼以外の人に関して「あ、こいつ今私に逆らったな」と思うことが、ない。夫以外の人は私に逆らっていないのか、逆らっていてもそのことに私が気がついていないのか。
質問18:感情がすぐ表に出てしまう。「わからない」すぐと言えばすぐであり、ゆっくりと言えばゆっくりであり、うーん、でもここで言う「感情」は「他者に対しての『気に入らない』に類する感情」のことなのかなあ。最近はもうしなくなったけど、以前は車の中から道路にゴミを捨てる人を目撃するとすぐさまその対象に照準を合わせて「打つ」とつぶやいては夫に「そういうことをするのはやめなさい」とたしなめられていた。あのすぐさま「こいつ(不法投棄をした人)気に入らん」という感情が表に出てくるのは偽善と何か関係があるかな。
質問19:喧嘩で相手が謝ると、有利になったと思い追い討ちをかける。「いいえ」相手が謝っても謝らなくても喧嘩でなくてもなにかかけたい追い討ち(探求?)がある時にはかけるなあ。そういえば先日勘違いして激怒して電話をかけてきた患者さんがことの経緯と事情が明らかになった後に「いつもきちんとした仕事でよくしてくださるのに、薬局さんはなんにも悪くなかったのに、勝手に腹立てて怒鳴って電話して嫌な思いをさせてごめんなさいね」と謝っておられたが、ご本人にも従業員同士でも「いやー、いろいろびっくりでしたねー」と話して笑って終わった。その出来事はそもそも喧嘩ではなく、それで有利になったと思うようなことでもなく、謝っている顧客相手に追い打ちをかけるのは商いとして不正解であろう。
質問20:つらい時は現実に向き合うよりも楽な道に逃げてしまう。「いいえ」つらい時に「楽な道」なんてあるのか?
質問21:自分より劣った同性にはとても優しい。「いいえ」性別年齢は問わず基本的には優しく親切に接するほうだと思う。優劣も問わないが、車中からの路上投棄含めそのへんにゴミをポイポイすてる行為を行う人のことはおそらく「自分よりも劣った人」だとは思っていてその対象にはとてもじゃないがことさら優しくするとは思えない。
質問22:反対に、自分より優れた同性にはとても冷たい。「いいえ」そこで性別がどう関係するのかよくわからないが、自分より優れた同性とは、例えば転職先の先輩とかのことかなあ(そこの職場での職歴が長く仕事に関して詳しいという点で私よりも優れている)。私がその人たちに冷たくすることのメリットは何もなさそうで気持よく仕事を教えてもらえなくなるというデメリットを得ることになるよなあ。
質問23:明るいと言われることがあるが実はネクラだ。「わからない」明るい側面もあればネクラな側面もあり陰陽バランスほどよくてなによりだと思う。
質問24:(夏目漱石「こころ」の主人公のように)実は他人の功績や恋人を策略によって横取りしたことがある。「いいえ」まず「こころ」の再読が必要なのかもしれないが。
質問25:権力者には媚びてしまう。「いいえ」私が接することのある権力者ってどこの誰だろう。
質問26:なにか嫌なことを言っても平然とした人を見るとますますいらだちがつのる。「いいえ」立場上嫌なことも言わねばならぬ人が平常心でその任にあたってくれているのはありがたいなあと思う。
質問27:気に入らない人のあらさがしをしてつけ狙うことがある。「いいえ」車中から路上にゴミを捨てる人のことは気に入らないが、その人のことはあらさがしをせずとも既に充分気に入っておらずつけ狙ってお近づきになる気もない。接触を制限し好ましくない異文化としてできるだけ距離を置く。
質問28:いつも損得を考えて行動する。「いいえ」ものごとのメリットの側面とデメリットの側面を具体的に意識するのは習慣化しているとは思うが、そして何かする時にはその両方を引き受けることにするが、そうした結果できるだけ自分の快適が多くあるような工夫はしているとはいえ、それが「いつも損得を考えて行動する」にあたるかどうかというと「いいえ」だと思う。
質問29:恩を仇で返したことがある。「わからない」結果的にそうなっていることはあるかもしれないなあとは思うが、意図的にここは仇で返そうと計画してそうしたことはない。
質問30:この診断を他人の前でやったなら、1人でやる時の結果とはまったく違っているだろうと思う。「いいえ」一人でやった時の結果を、今こうして一応人の前(公開日記)においてやっている。
診断結果は【あなたは偽善者度 12% です】「あなたはとてもいい人です。偽善者という言葉とはおよそ無縁です。自分に正直に、自分の思う通りに生きています。ただ純粋なのはよいのですが、粗野とか傍若無人などと言われることがあります。いわばあなたはまだ精神的に未成熟な子供のままなのです。あと少し社会性を身につけさえすれば、とても素晴しい人格者になれるはずです。どうぞがんばって下さい。」
夫は私のことを「極悪非道」以外に「傍若無人」とも言うことがあるが「粗野」とは言ったことがない。精神的に未成熟な子供、というよりは、精神的に老成した他界前の人、というほうが近いような。社会性と人格度合いは今でもそれなりに適合していると思うから特別何かをがんばろうとは思わないが自分がさらに成長しブリリアント度合いを増すというのであればそれはそれで拒まない。
今回こうして「偽善」について考える機会を持ったことで、もしも「偽善」という言葉を見聞きすることがあるときには、自分の中ではこのように日日翻訳して解釈しようというものができたのはよかったと思う。
その翻訳は次のようなもの。
他人の行為に対して「偽善だ」と言う場合は「自分はそれが気に入らない」「(場合によっては)ばかにしており貶めたい心情がある」。
自分の行為に関して「これは偽善なのではないか」と思い言う場合は「自分のこの行為に関して誰かから気に入らないと思われたりばかにされたりするのを避けたい」といったあたりではないかと。
そんな解釈全然違うよ、間違っているよ、というむきもあろうかとは思うが、他人や自分の行為が常に「真なる善」であることをことさら求める必要があるとは思わない私にとって今のところもっともしっくりくる翻訳はこうなった。自分の中の自動翻訳機は生きている間必要に応じて更新することにはなっているので、さらにしっくりくる翻訳と解釈に出会えた時にはそちらを採用するつもり。